2月の日記
1.2月28日(金曜日) 「人がうまいものを求めるのは、人として生きているからだ」 34.60点! 1.2月27日(木曜日) 「未熟ゆえの誤りの方が、知りすぎたゆえの誤りより、救いがある」 36.70点! 1.2月26日(水曜日) 「男としてきちんと生きれば、死は自ずからきちんとしたものとなる」 38.30点! 1.2月25日(火曜日) 「一瞬の決断の連続が戦であり、人生である」 40.27点! 1.2月24日(月曜日) 「政事に携わる者が、夢に踊らされてはならぬ、しかし、夢を抱くことをやめてもならぬ」 42.57点! 1.2月23日(日曜日) 「人の世で生きていけなくて、何の人生なのだ」 44.06点! 1.2月22日(土曜日) 「生きることの意味まで考えると、それぞれが自分の軽さだけを意識する」 37.39点! 1.2月21日(金曜日) 「女帝エカチェリーナ」 39.19点! 1.2月20日(木曜日) 「敗北から、いまだ立ち直っていない自分が、敵なのだ」 32.52点! 1.2月19日(水曜日) 「人に言われて反乱などできるものではない」 34.22点! 1.2月18日(火曜日) 「誰かに最上であれば、誰かに最悪だったりする」 36.37点! 1.2月17日(月曜日) 「言われている人柄の裏に、間違いなくもうひとつの貌がある」 38.04点! 1.2月16日(日曜日) 「面白いことを求めるのだけが、人生ではあるまい」 40.17点! 1.2月15日(土曜日) 「デブ@仙石線」 42.61点! 1.2月14日(金曜日) 「青葉城、遥かなり」 35.89点! 1.2月13日(木曜日) 「ロッテンマイヤーの慟哭」 28.67点! 低体温低血圧低反発恋愛的回顧録風ネタ系英雄叙情詩長編「90点」 1.2月12日(水曜日) 「ブーゲンビリアの閃光」 30.19点! 「90点!」
「(16年ぶりに)カラオケに行こう」 1.2月11日(火曜日) 「自分が絶対に正しいと思わなければ、人は何をなすこともできないのか」 32.81点! 1.2月10日(月曜日) 「こうだと思われてその通りでしかない男には、なりたくない」 34.92点! 1.2月9日(日曜日) 「当たり前のことを当たり前にやろうとすると、邪魔が入る」 36.82点! 1.2月8日(土曜日) 「風が吹けば、やむのを待つしかない」 29.10点! 1.2月7日(金曜日) 「人の愚かさが、あるべき姿を、常に変えていく」 31.85点! 1.2月6日(木曜日) 「怒りは恐怖を消してくれる」 26.94点! 1.2月5日(水曜日) 「人が軽視するようなことを、重大事と認識して未来を的確に見ることを、先見の明、という」 28.26点! 1.2月4日(火曜日) 「最も騙しやすい者は、最も騙しにくい」 30.77点! 1.2月3日(月曜日) 「勝つ者がいれば、負ける者がいる」 23.68点! 1.2月2日(日曜日) 「真の無難を知る者こそ兵法の天才である」 25.81点! 1.2月1日(土曜日) 「違う違うそうじゃない」 20.46点!
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(45分)
3.カラオケ。
今月は何といってもカラオケでした。
目標には到達したので、今までと同じペースで通い詰めるということはしませんが、
せっかくですし、これからもカラオケに行く場面は多々あるでしょうし、継続して通っていきたいとは思います。
フィッシュストーリー野郎の「ガラナ」が92.8(?)点くらいだったから、
これは、いつか超えられたら良いな、と思える目標です。
それにしても、あいつと一緒にカラオケに行くと、何か緊張するんだよな(笑)
今さら、いつも歌っているようなイエモンの曲とか歌う気になれなくて、
毎回新しい曲を10曲くらい用意していかなければならないような気がするんです。
しかも、同僚とカラオケ行く場合には歌わないような、コアな曲をね。
結果的に、この先にまたあいつとカラオケに行くときに備えて、練習をしておかなければならないんですね。
あれ、じゃあ状況変わってないな(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.採点競技。
ウィンタースポーツだけというわけではないのですが、
毎回冬季オリンピックでは特に採点競技の是非を巡る議論が巻き起こるような気がします。
人間が採点する以上、特定の価値観や主観が介在するものなので、
今後も完璧な採点が行われることはないでしょう。
スキーのジャンプは50センチ単位で飛距離が計測されますが、
あれも現代科学の総力を挙げれば、1センチ単位で計測することもできると思うんですよね。
陸上の幅跳びだっていまだに人力ですが1センチ単位で計測しているわけですし。
ジャンプは飛型点というのもよく分からないのに、
いつの間にか、風の状況も点数化されるようになっているようで、余計に分からなくなってしまっていました。
あの競技こそ、ただただ2本飛んで遠くまで飛んだ者の勝ち、という方が遥かに分かりやすくて好ましいのですが、
そんなことは誰でも分かるでしょうから、それをさせない何かがそこにはあるのでしょう。
そういう意味では、滑降とか、アルペン競技は見ていて面白いですね。
あれらの競技もいつの日か、滑り方の美しさ、みたいなポイントが加味される時代が来てしまうのでしょうか。
来ないでください。
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(45分)
3.過保護。
先日行った仙台の東北大学がニュースに出ていました。
報道によると、仙台駅から東北大へ向かうバスに受験生に加えて付添いの親が同乗するものだから、
受験生が会場に到達できず、受験開始時刻を繰り下げる、という事態が発生したとのことです。
仙台駅から東北大学のキャンパスまではタクシーもあるけれど、普通はバスに乗るよなあ。
受験開始時刻を繰り下げたことによって、当初の受験開始時刻に間に合わなかった受験生は、
最悪の事態を免れることができたとは思いますが、でも、やっぱり動揺するよね。
この日のために勉強してきたわけだし。
最近の高校3年生を持つ親は、わが子の大学受験まで付き添うわけですか。
子どもがひ弱なのか、親が過保護なのかは分かりませんが、時代も変わりましたね。
そういえば、最近では大学生の就活にまで親が付き添ってくる、なんてこともあるんでしたっけ。
2.昨日の練習・・・・REST
3.
ソチ。
そういえば、長編の連続で、連載期間中に開催されていたソチについて、あまり触れていなかったような気がします。
注目種目は結構見ていましたし、就寝時間は毎日午前3時くらいでした。
羽生くんの金メダルや、真央ちゃんのフリーも良かったのですが、
一番印象に残っているのは、やっぱりレジェンド葛西のラージヒルですね。
銀メダルでも十分凄いのですが、もうあとほんの少しで金メダルだったんですよね。
そのほんの少しの差が大きいのかもしれませんが、40歳を超える年齢で、
オリンピックで優勝争いをできるというのは、本当に格好良かったです。
素人目に見ても、綺麗な飛型していましたし、着地後に日本人選手が駆け寄ってきたシーンがまさにハイライトでしたね。
感動でした。
普通にさっき使ってしまいましたが、最近やけに「レジェンド」って言葉流行っているよね。
直訳すると「伝説」だから、少なくとも現役プレーヤーには使うべきではないような気もしますが
「生ける伝説」なんて意味もあるのだろうから、別に使ってもいいのかな。
でも、葛西さんがレジェンドでもいいけれど、それなら、金メダリストの船木さんもレジェンドだよね。
いずれにせよ「レジェンド」が今年の流行語大賞になるんじゃない。
2.昨日の練習・・・・JOG×15キロ(70分)
3.継続。
マラソンブームは未だ冷めやらぬところではありますが、
一方で、長続きする人はそこまで多くはないみたいですね。
半年継続できる人は半分以下だとか、言われていますが、そんなにいるのか、と思います。
初めてマラソンを走ってから10年以上が経過して、今ではそれなりに日々練習に取り組み、
レースにも出ていますが、それでもレース当日は憂鬱ですし、
30キロ以降の苦しみは何度走っても、どんなペースで走っても変わりありません。
それでも続けているのは、何故なのか、分かりませんが、きっと大事な感覚が麻痺しているのでしょうね(笑)
そんな、私が言うのもなんですが、いくらブームだとはいえ、
何であんな苦しいことを今から始めようとする人がいるのか、ちょっと何言っているか分かりません(サンドウィッチマン風)。
もっと他に楽しそうな趣味とかたくさんあるような気がするんだけど、気のせいかな。
2.昨日の練習・・・・JOG×20キロ(85分)
3.東京マラソン。
去年はこのレースを走っていたのに「1年経ったらハネムーン(ロマンスの神様)」じゃなくてまた観戦者に逆戻りです。
もっとも、今年当選していても、年末の怪我で思うようには走れなかったとは思いますが。
30キロ過ぎにペースメーカーが戦線離脱してからの外国人ランナーの怒涛の加速ぶりを見ると、
意外な伏兵が2時間8分ちょいで走ったという嬉しいニュースさえ霞んで見えてしまいます。
いきなり日本記録を更新してほしいのはやまやまなのですが、
まずは現実的に2時間6分台で走るランナーが誕生してくれることを願います。
今ではすっかりお茶目な解説者になってしまった瀬古さんも、
かつては世界歴代3位とかの記録を持っていた偉大なランナーだったんだよな。
あれからアフリカ勢の本格的な台頭もあったりで、当時とは時代が全く異なるのかもしれませんが、
それでも30年前の瀬古さんにも及ばない日本のトップ選手というのはどうなのよ。
2.昨日の練習・・・・REST
3.フィギュア。
浅田真央のフリー演技、本当に凄かったね。
最初のトリプルアクセルが決まった時、深夜ながら絶叫してしまいました。
でも、口から出てきた言葉は「よっしゃ」とか「やった」とかではなくて、なぜか「できるじゃん!!」でした(笑)
その後のジャンプもハラハラしながら見ていましたが、もう、何というか、
女性に対する表現としては失礼なのかもしれませんが、鬼気迫る執念がありましたね。
断じて行えば、鬼神もこれを避く。
完全にたらればの世界になってしまうのですが、
前日のショートプログラムがそこそこうまく行っていれば、フリーの得点自体ももっと伸びただろうし、
あっさり優勝していてもおかしくなかったのになあ。
羽生くんの金メダルも、渡部さんや葛西さんの銀メダルも感動したけれど、やっぱり浅田真央の演技が最高に印象に残りました。
その感動に比べて、元首相の発言はどうなのよ。情けないことこの上ないです。
友人と居酒屋談義しているのならともかく、公的な場所でよくもまああんな発言ができるものだと思うし、
それでいて全く悪びれる様子がないというのもな。
ああいう人が首相を務めても、この国は全く傾く気配がないというのは、ある意味で凄い国なんだと思い・・・たいです。
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(45分)
3.八面玲瓏。
知らないことは多すぎるけれど、そのうちの大半は知らない方が良かったことだったりもします。
個人的には、ただ単純に、簡単に生きていきたいのですが、なかなかそうもいかないんだよな。
夏休みのある小学校時代に帰りたい(ミスチル@光の射す方へ)。
2.昨日の練習・・・・REST
3.
12周年。
長編連載中だったので、遅れましたが、
2月17日をもちまして、めでたいのか、めでたくないのか分かりませんが、このHPも12周年を迎えました。
12周年って、干支1周ですよ。当時は大学1年生だったんだよなあ。
毎年節目の時期になると1年目の日記を読み返すのですが、当時は改行もしていなくて読みにくいし、
文章もおよそ大学生とは思えないほど稚拙ですし、
当時の読者は何が悲しくて毎日あんな三流以下の日記を読まされていたのでしょうか。
これも毎年のことですが、毎年今年こそはHP閉鎖してやる、と思うのですが、
諸事情によりやめることができないでいるんですよね。
ツイッターに浮気しがちなのかもしれませんが、個人的にはツイッターより、こっちの方が断然好きです。
ツイッターはタイムラインで勝手に流れてくるだけですけれど、
こっちはわざわざ浅倉大介じゃないですけれどアクセスしてくれるわけですから、大事にしなければいけませんよね。
とはいえ、もうほとんど読者が固定していて新規の方なんていないだろうから、今さらこんな挨拶必要ないですよね。
というわけで、何だかんだで、だらだらと13年目の周回を走り続けていきますので、今後ともよろしくお願いします。
2.昨日の練習・・・・JOG×5キロ(25分)
3.王将戦第4局▲羽生3冠〇−●渡辺王将△。
戦型は超速3七銀VSゴキゲン中飛車。
って、普通に書かれて何のことか分かる人は読者の中にはまずいないでしょう(笑)
居飛車党の渡辺さんがタイトル戦でまさか振り飛車を採用するとは。
そんな驚愕はありつつも、本局は嬉々として振り飛車退治に勤しむ(ように見えた)羽生さんの鋭い攻めが炸裂して、
何となく見た目には快勝でしたが、実際は紙一重だったんだろうな。
出だし2連敗でワンサイドゲームになってしまうのかという危惧もありましたが、2連勝でタイスコアに。
ここからどちらかが2連勝するような気はしないので、フルセットまでもつれこむような気がします。
嗚呼、そういえば最近将棋指してないな。
実戦から遠ざかるとすぐに錆びつくのは将棋も陸上も同じことです。
2.昨日の練習・・・・JOG×15キロ(70分)
3.仙台編(あとがき)。
・・・で、結局仙台には誰と一緒に行っていたのか、文中には必ずしも明記されていないですよね。
もちろん、彼女とですよ。
「そんなはずはないさ、それはわかってる(By福山雅治@HELLO)」
それはいいとして、ヒントは夜空を舞う星屑のように散りばめられていたので、
分からない人はいないかと思いますが、一応答え合わせのようなものです。
2年前に宮ヶ瀬湖のリレーマラソンを一緒に走って、その前日に自分が夏休みなものだからって、
夏休みを取らせて駒沢競技場に呼びつけ、普段から一緒にカラオケに行き、
旅行前日に一人カラオケ6時間の猛特訓を積んでくるくらい暇で、
一緒に旅行に行ってもおかしくない人といったら、もうあの男しかいないわけです。
そうです、フィッシュストーリー牛タン萩の月政宗ずんだ餅野郎です。
結局この旅行は何だったのでしょうか。
松島や青葉城にも行きましたが、食事より電車より「平和より自由より正しさより(ByTMNetwork@Beyond the time)」
「愛よりも激しく(By Favorite Blue)」睡眠時間よりも長く、
一番時間を費やしたイベントは、どこでもできるカラオケですよ(笑)
まあ「そんなんどーだっていいから、冬のせいにして暖め合おう(By TMR@WHITE BREATH)」
ああ、そういえば、仙台の牛タンで有名な「利休」って「東京にもあったんだ(By福山雅治)」
次は、東京駅の駅ナカで牛タンゲームしながら牛タンを食べよう。
まさかの長編2連発になりましたが、仙台編、これにて終了!!
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(40分)
3.仙台編4。
激烈な睡眠不足と金メダルの高揚感に包まれ、いよいよ2日目。
外は雪一色(麻雀の役みたい)で、家にいたら間違いなく外出したくない気象状況でしたが、
「竜馬がゆく」での千葉さな子さんが夜に竜馬さんのお部屋に行くときくらい「勇を鼓して」いざ日本三景の松島へ。
途中、乗った電車が意外に4,5駅先の駅が終点で、次の電車まで推定氷点下の寒空の下、
駅の「青いベンチ(Byサスケ)」で凍えながら20分以上待ち草臥れながらも、松島海岸到着。
到着、といっても、晴れていれば松島ハーフマラソンのコースをジョギングしてみるのも良かったのですが、
この天気とあって特にやることもないので、荒天の影響で、
激烈な波のうねりを見せる松島湾から塩釜湾を遊覧船で強行突破しようとしたら、
意外に船酔いが半端なくて、後半は完全にグロッキー状態。
鉛色の空と豪快に寄せては返す波しか堪能できず、美しい景色を拝むことのないまま、
命からがら船を降り、仙台駅に到着したら、今度は新幹線が激烈な遅延。
駅員に確認してみたら、3時間待ち、ということだったので、迷うことなくカラオケに直行して2時間潰したら、
そこまでの遅延ではなかったようで、我々の乗る予定だった新幹線は綺麗さっぱりいなくなっていました。
嗚呼、虎の子の指定席券。
最後は、東京駅八重洲口で仙台旅行だと言っているのに、全く関係ない餃子を堪能して、無事終了。
2.昨日の練習・・・・REST
3.
仙台編3。
吉祥寺みたいな雰囲気の繁華街を「地図を片手にウロウロ上目づかいでもうヨロヨロ
(By B‘z@THE GAMBLER)」しながらいよいよ、メインの牛タンです。
うん、これが食べたくて遠路はるばる東北新幹線で「自業自得の街道を時速300キロで走り抜け」
(By B’z@THE GAMBLER)てきたわけです。
深々と降り積もる雪模様の空を眺めると、果たして明日帰ることができるのか、
怪しい気もしてきたので、うん、それくらいは思わないと、ね。
2軒目は、仙台に来ていて地酒が楽しみだと言っているのに、わざわざ九州料理のお店に。
何だかんだ仙台のお酒も少しは置いてあるだろうと思ったら、オール九州という一手詰みでした。
このあたりで、私の大好きなアイドリング !!!3号の遠藤舞ちゃんの卒業ライブが終わり、
惜別の「悲しみは雪のように(By浜田省吾)」降り積もってきたわけですが、
そんな素振りは毛ほども見せず、ある意味メインイベントのカラオケへ。
90点到達後の初カラオケで、いざ「MINORITY」を披露したら88点という見事な勝負弱さを発揮したら、
伏兵スキマスイッチの「ガラナ」に92点を出されるという見事な返り討ちに遭いました。
旅行前日に一人カラオケ6時間の猛特訓を積んでくるとは、恐るべき暇人。
羽生くんの金メダル獲得の瞬間を見て、長かった一日もいよいよ終焉を迎え、就寝。
2.昨日の練習・・・・REST
3.仙台編2。
宿は駅から徒歩3分くらい。悪くないです。
そして、驚いたのが、宿の隣のビルに私のよく行くカラオケの店舗の看板がでかでかと掲げられていたことです。
まさか、この後の気象状況の「天使のような悪魔の笑顔(By近藤真彦@ミッドナイトシャッフル)」によって、
この旅行で最大時間消費イベントがカラオケになるなんてことは想像だにしておりませんでした。
チェックインした後は、とりあえず城を見に行こうということで青葉城へ。
バスがなかなか来なかったので、地図やネットで調べた限り、そんなに遠い距離じゃなかったような気がして、
タクシーで行ったら、これがまたえらい遠くて、東北大学のキャンパスとキャンパスの間をすり抜けるバラ色の日々を送った結果、
「地元民はほとんど牛タンを食べないよ」と今回の我々の旅行のコンセプトを根底から覆してくれた運転手さんの優しさとは裏腹に、
中島みゆきの言うところの「時代」ばりに回る回るよメーターは回りました。
結果、天使のテーゼばりに残酷なことに、タクシー料金は3000円くらいかかりました。
そして、到着してみたら「あ、あれ!?」
思い描いていたような城がないんですよ。チカラもない、お金もない、城もない。ないないばっかでキリがない。
よく見ると「城」ではなくて「城址」なので、勇壮な建築物が存在していなくても仕方ないのですが。
やむを得ず、先週の大雪の残雪に埋もれがちな伊達政宗公の騎馬像を拝んでいたら、
やがて、戊辰戦争時の官軍以来の南岸低気圧の襲来により仙台も粉雪の舞う街並みに(Byアイドリング)なり、
何ともロマンティックが止まらない(By C-C-B)展開になりつつあったのですが、
17時前だというのにお土産売り場さえ閉店するという、クリステル真っ青のオモテナシ受けたTwo of us(Byビートルズ)は、
辛うじて門が半分開いていた神社でお参りをして、どこにでもありそうなおみくじを引いて、
2月14日だというのに、全くデートしている人の姿を見ない、青葉城を後にし、帰りはバスで駅まで250円くらいで帰れました。
往路の3000円、復路の250円!!
なんて日だ!!
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(45分)
3.仙台編1。
「仙台に牛タン食べに行きません?(笑)」
ここまでなら嬉しいお誘いの領域を超えないわけですが、
日程の候補が「2月14日から15日」「2月16日から2月17日」「2月16日日帰り」の3つでして、
よく考えなくても前2者は平日を挟むわけですので、休みを取らなければならなくなるわけです。
そして、私には2月16日に昭和記念公園でのリレーマラソンが控えておりましたので、
必然的に行くとなれば候補は一択になってしまいました。
私に休みを取らせて、結局休みを取った意味がなくなる、という展開、
どこかの宮ヶ瀬湖リレーマラソン前日に駒沢競技場に呼び出されたあの日とのシンクロ率が400%を超えているのですが、
フラグは今もフラグのままで(福山雅治@桜坂風)まあ気のせいということにしておいてあげましょう。
売られた喧嘩は、8割値切って買う、というのがたった今決まった朝令暮改の乙女のポリシーですので、
仕方なく、unwillinglyに、reluctantlyに、しぶしぶ、不承不承、後ろ髪引き裂かれる思いで、
バレンタインデーの予定を8個くらいキャンセルして、2月14日午後から牛タンを食べに仙台に行くことにしました。
誘われたのが11日だったので、それなりに必死になって13日までに翌日分の仕事をほとんど終わらせ、
終わらないものは見て見ないふりをして、14日の午前11時頃、周囲からのそれとない冷たい視線を感じながら電光石火の退社。
午後1時40分には、出張と思われるスーツ姿のサラリーマンで溢れかえる東北新幹線で
「粉雪の舞う街並み(Byアイドリング)」を後にして、仙台に行くのに、わざわざ味噌カツの弁当を食べながら、約2時間後には仙台駅到着。
雪降ってない!
2.昨日の練習・・・・REST
3.あとがき。
東京マラソン編以来1年ぶりの長編でした。
カラオケの採点で90点取ったことが、そんなに嬉しかったのかよ(笑)
でも、カラオケの話をすることになると、必然的に中学校3年生の春休みの話をせざるを得なくなり、
その話をすることになると、特定の偉大な女性の話をせざるを得なくなるので、
意外に物語の概要は一本道だったのかもしれません。
最初は純粋にカラオケの話に絞った戦記物風な展開にしていこうと思ったのですが、
それだとどうしても「宮ヶ瀬湖編」と展開が似てきてしまうこともあり、断念しました。
それでも、久しぶりに長編を書いてみたくなり、あれやこれや(仕事中に)構想を練っているときに、
90点というところから、日本史の試験へという展開を思いつきました。
そして、たまたまその頃村上春樹さんと中頓別町との件があり「海辺のカフカ」や
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」のように、
話が行ったり来たりしながら1つの結果に向けて収斂されていくという展開にしたいな、と思うようになり、
特定の偉大な女性を主軸に据えて、カラオケとテストとのそれぞれの90点を両翼に、
あえて村上春樹風に言うところの「90点をめぐる冒険」となったわけです。
今回は引用も過去最多でした。
おなじみのフレーズから、新しい試みまで、多様な引用陣が多様な光彩を放ってくれました。
というわけで、他人からの評判はともかく、
個人的には、たぶん生涯超えられないと思っていた「宮ヶ瀬湖編」を超える最高傑作になったかなと思っていて、
ここ数日午前3時近くまでかかって、オリンピックを見ながら、あれこれ構想を練り、執筆をして良かったです。
フィッシュストーリー野郎をバッシングするだけで良かった宮ヶ瀬湖編とは違って、
自分に関する話だから結構緊張して筆が重くなったりしましたが、これにてこの長編も終了です。
【出演(登場順)】
蓮見さん
アンダーグラフ
NARUTO
サーフィス
Kinki kids×2
烈火の炎
B’z×2
TMNetwork
MY LITTLE LOVER×2
EveryLittleThing×2
SPEED
DEEPS
創世のアクエリオン
WANDS
THE BEATLES
THE YELLOW MONKEY×3
ラルク
木梨憲武
GLAY×2
RIZE
二条河原の落書
フィッシュストーリー野郎
ウマーさん
野猿
エレファントカシマシ
平松愛理
花形透
いきものがかり
諸葛亮孔明
司馬仲達
西野カナ
伊坂幸太郎×2
アムロ・レイ
佐村河内氏
児玉源太郎
乃木希典
GREEN DAY
LUNA SEA
相川七瀬
globe
槇原敬之
志賀直哉
ウラジミール・レーニン
superfly
モンゴル800
ポルノグラフィティ
玉置成実
私
あの人
THE・END
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(45分)
3.90点(終章)。
先日、テレビで槇原敬之が、自分の歌をDAMの精密採点DXで採点して86点台だったのを見ました。
採点、あてにならないよねえ(笑)
カラオケの採点ゲームでの得点が60点台だった半年前と90点に到達した今とで、
私が劇的に歌を歌うのがうまくなった、ということはありません。
単にゲームにおいて高得点を取るコツを掴んだだけの話であって、
他の人が聞いたら、これでその点数かよ、と鼻で笑われるかもしれません。
まあ、きっとその人は90点取れないと思いますが(笑)
そして、そんな自覚があるからこそ、自分の歌声は今でも嫌いなままで、
基本的にあまり他人の面前で歌いたくないという気持ちにも変わりません。
テストの点数も同じです。
この世に星の数ほどある高校の中の、1つの普通の高校の校内模試で、
高校3年生の文系の社会科の中の日本史という科目で90点を取って1位になったことが1回ありました、というだけの話です。
もっと有名な進学校であれば、きっと同じ順位に到達することはなかったでしょう。
私にとって、カラオケと勉強にはいくつか共通点がありますが、その最たるものは、苦手だということです。
嫌悪していたと言っても過言ではないでしょう。
中学時代は、同じ陸上部に所属していました。
走るのが速ければ、それだけである程度は格好もつきました。
しかし、中学校卒業直前には、彼女が高校で陸上部には入らないことは何となく知っていました。
そんな矢先のカラオケでの衝撃的な体験でした。
その時、陸上競技という共通の基盤を失ったら、自分には、短い距離を人より少し速く走れること以外に、
何もアピールできるものがない、ということに気がつきました。
見た目も悪いし、成績は悪いし、カラオケも絶望的に下手だし、ボーリングも100点以下だし、
その他の遊びはほとんどできないし、字は汚いし・・・駄目なところを挙げていったらキリがないわけです。
今考えると、あの中学校卒業直前の春休みは、自分の人生にとって相当に大きなターニングポイントだったように思います。
何となくではありますが、このままだとまずい、ということを痛感したようなのです。
たかがカラオケ1回、時間にして2時間ですが、今思えば、偉大な2時間でした。
高校に進学してから、自分の名前を校報に載せるためにあれこれ頑張ったことはもう述べましたが、
その原動力となったのは、やっぱり彼女が好きだったということに尽きるのだと思います。
私のあらゆる努力は、遠く離れてしまった彼女のためのものでした。
彼女が校報の記事を隅から隅まで読んでいたかどうかなんてことは分かりません。
でも、きっと読んでくれていて、私の名前が視界に入るたびに、
ああ、あいつは、走るのが少し速いだけの男じゃないんだ、とほんの少しでも脳裏に刻んでくれさえすれば、
次の瞬間に忘れ去られていても、それだけで十分に幸せなことだったのです。
そして、あの時の努力の延長線上に早稲田大学があり、一橋大学大学院があり、
司法試験があり、二回試験があり、100M10秒台があり、柔道初段があり、
将棋アマチュア4段があり・・・今回のカラオケ90(.575)点があるわけです。
要するに、1998年3月12日の2時間のカラオケがあったからこそ、
そして、あの人がいたからこそ、現在の自分があるということです。
今回、カラオケで90点に到達して、何もできずに醜態を晒して地獄を見たあの時に比べれば、ほんの少しだけ自信が付きました。
そのほんの少しの自信を得るために、いったいどれだけの時間やお金や労力を費やしたことか。
でも、それでいいんです。それもまた、人生なんです。
最後に、ほんの少し得た自信を胸に、今なら彼女に言えます。
私が最初に歌う歌は、決まっています。
もちろん、
「愛されるより愛したい」(Kinki kids)
真剣(マジ)で。
低体温低血圧低反発恋愛的回顧録風ネタ系英雄叙情詩長編「90点」
完
2.昨日の練習・・・・JOG×5キロ(25分)
3.90点(後編)。
そんな、カラオケで負った強烈な爪痕も回復しないまま春休みが終わり、
自動的に高校に進学すると、お互い所属する部活が異なるようになったことや、
その他思春期特有の、彼女と私の事情(By相川七瀬)により、接する機会は激減していきました。
携帯電話というかPHSは存在していましたが、普及率は低く、
何より我が家で携帯電話を買い与えるという発想はなく、私も何としても欲しい、とまでは思っていませんでした。
そうすると、いつの間にか精神的にも物理的にも果てしない距離を感じるようになり、そこはかとない寂しさが襲ってきました。
出逢った頃のように(By ELT)接するのが無理だとしても、
私としては、君の名前はずっと忘れずにいたいわけです。
できたら繋いだ手の温もりも(By globe@Perfume of love)。
私の母校には、というか、どこの学校にもあると思いますが、いわゆる学校の広報誌である「校報」というものがあります。
とりあえず、できる限りそこに名前を載せるようにしよう、と思いました。
やりたくもない委員会の委員になったり、各種試験や部活動、学校行事で優秀な成績を修めたりするなど、
とにかく自分のできる限りの努力で校報に名前を載せようと思いました。
遠く遠く離れていても僕のことが分かるように(By槇原敬之@遠く遠く)。
体育祭では大人気なくスパイクを履いて200Mを独走し、部活動対抗リレーでもレギュラーメンバーで優勝し、
委員会も3年間熾烈なじゃんけん戦争を勝ち抜いて所属しました。
でも、一番苦手だったのが勉強面でした。
母校は中高一貫校なのですが、中学校に入学した当初はそれなりに劣等生でした。
通知表の「席次」欄に書かれている数字が出席番号と同じだったので、席次=出席番号の意味なのかと思っていました。
と、親に言ったら、漫画でもあり得ないくらいのリアクションで落胆していました。
ちなみに出席番号は29番で、1クラス40人くらいでしたので、後は推して知るべし。
中学校入学から、中学2年生の秋に陸上部に入部するまでの長く続く暗夜行路(By志賀直哉)を歩いているうちに、
成績は下降することはあっても、上昇することはありませんでした。
そんな後方からの出発でしたが、校報に名前を載せるためには、高校進学後という遅い時期になってからとはいえ、
とにかく「勉強して勉強して勉強する(レーニン風)」しかありませんでした。
それなりに苦痛でしたけれど、やった分だけ着実に結果が出始めてくるんですよね、これが。
足速い体育祭だけ目立つ奴で終わりたくなかったし、文武両道という言葉がそれなりに好きだったし、
何よりも校報に名前を載せて、道は違えど、自分なりに頑張って生きていることを、
生まれた街のあの白さと一緒にあなたにも見せたいわけです(By GLAY@Winter,again)。
今振り返ってみても、あの時の純粋な情熱の威力は凄まじいものがあります。
高校2年生になると、文系と理系とに分かれ、それぞれのコースごとに成績上位者が発表されるようになり、
純粋文系の自分にもようやく運が巡ってくるようになり、校報にも名前が載るようになりました。
名前が載るのが当たり前になると、次は何の科目でもいいから学校で1番になろうと思うようになりました。
不思議なことに、総合で1番を、とは思わなかったんですよね。
無理に描く理想より笑い合える今日の方がずっと幸せなのです(By superfly@愛をこめて花束を)。
ということで、好きでもないし攻略法の読めない現代文に精を出すより、
好きで興味もあってとりあえず暗記すればいいだけの日本史に総戦力を集約し、
28サンチ榴弾砲の全砲門を203高地に向け・・・はせずにひたすら勉強しました。
そして、高校3年生の秋。
文系科目の中の社会科の中の日本史という、
広い宇宙の数ある一つ(Byモンゴル800@小さな恋のうた)の科目で1番になりました。
その時は、校報に名前が載るだけではなく、試験の採点直後から、構内の掲示板にも自分の名前が一番上に掲示されていました。
席次と出席番号の区別もつかず、be動詞の意味も分からず「I student boys」
とか平気で答案に書いていたような奴が、ついに1番になってしまいました。
外形的に見れば、開成とか灘とかの超名門校ならいざ知らず、普通の学校の校内試験の1科目を制しただけであって、
大学入試に合格したわけでも、何か報奨が発生するわけでもないのですが、
私にとってはそれなりに満足できる到達点でした。
そんな満足感も若干薄らいできたある日の校内の廊下。
「日本史、1番だったね。」
階段の上からだったので、視界には誰もいませんでした。
それでも、振り向かずとも、何年言葉を交わさずとも、今宵月が見えずとも(Byポルノグラフィティ)、
遠く離れてるほどに近くに感じてる(By玉置成実@Reason)その声の主は、改めて確認せずとも一目瞭然です。
「凄いね・・・、
2.昨日の練習・・・・JOG×15キロ(75分)
3.90点(中編)。
2013年12月15日。
だいたい毎回いつも同じメンバーと再会(By RIZE@Why I’m me)する、
あいかわらずな僕ら(By B‘z)はいつもどおりカラオケに行きました。
最初はほんの出来心だったんだよね。
寝顔に「二条河原の落書(建武の新政批判)」をするくらいの可愛い感じ。
ついつい悪戯心で
「フィッシュストーリー野郎に黙って、こっそりあいつの歌採点してやろうぜ」
ということで彼に黙って勝手に採点モード(DAMの精密採点DX)にしたんですよ。
それで、あいつが笑いになるレベルの酷い点数をたたき出してくれれば、私とウマーさんで恒例の
「プーックスクス」ができる・・・と思って、邪心全開の半笑いのまま、
彼の歌うGet down(野猿)をろくに聞かずに、風呂にでも入り、いよいよ採点結果発表!!
ふう、いい湯だった・・・・・・あ、あれ・・・89.662点!?
・・・NHKの受診料の支払督促ばりに懇切ご丁寧なことに、
この精密採点DXは本人の得点と合わせて全国平均点も出てしまうんです。
彼の点数は、頼んでもいないのに全国平均を約10点も上回ってくれちゃっていたので、
受験競争至上原理主義社会を時速300キロでドリフト走行してきた、
我ら偏差値超能力集団(Byイエモン@サイキックNo.9風)は、野郎の点数の価値が一瞬で理解できてしまうわけです。
あれ、まさか、あいつ結構うまいんじゃ・・・
一人だけ今宵の月のように(Byエレカシ)満面の笑みで快哉を叫ぶ野郎を尻目に、
まだ現実を受け止めきれずに苦虫を噛み潰したような絶望的な表情の浮かべる、部屋とワイシャツと私(By平松愛理)とウマーさん。
しかし、直ぐに気を取り直して、ま、まあ、あの野郎でも89点なら
「俺たちなら200点取ってるぜ(花形@SLAMDUNK)」
と軽く自分を鼓舞・・・することはできませんでした。
実は、この日以前から私は一人でカラオケに行き、毎回採点していたのですが、
当時の最高点は86点台で、そこに大きなベルリンの壁を感じていたので、
そこを軽々と超える89点台という点数を見て、内心では、こいつには勝てそうにないから、
五丈原で死んだはずの諸葛亮孔明の木像に尻尾巻いて退却した司馬仲達ばりに、さっさと帰りたくなったよ(Byいきものがかり)。
結局その日は完敗でした。
あらゆる個人的エース級の歌を投入しても86点を超えることはありませんでした。
私以上私のこと知っている(By西野カナ@私たち)・・・なんてことはまるでない(By伊坂幸太郎@砂漠)のに、
なぜか凹んでいるウマーさんは放っておいて、その日の帰り道に強く決意したのでした。
「僕はあの人(ランバ・ラル)に勝ちたい(Byアムロ・レイ)」
幸い、野郎は89点台で、90点にはかろうじて到達していませんでした。
(先に)90点出す。
この日から90点を出すための試行錯誤の日々が始まったのでした。
某大規模動画投稿サイトで上級者の歌い方を何度も見ました。
高得点を取るためのサイトも数えきれないくらい見ました。
サビは全力で歌い、メロディは小さく歌うとか、姑息なテクニックもいくつも実践しました。
高得点が出やすいとされている曲を厳選して、CDを借り、頭が痛くなるくらい聞きました。
もう何でもいい、たとえ女性の曲でも、1オクターブ下でも、全部裏声でも、
フィッシュストーリー野郎考案の姑息48手を駆使してでも、佐村河内氏に頼んででも、
とにかくどんな手を使ってでもいいから、90点を超えてしまえば、もうそこで終わりと決めました。
そんな、地球環境にも日本経済にも、寸毫も貢献の余地のないことを考えながら、
追い風参考でも手動計時でもいいから10秒台出したいと言っていた頃を少し懐かしく思い出しました。
とにかく、無益な研究→実戦を繰り返す日々が続きました。
その情熱をもっと別のことに向けることができれば、もう少し違う人生があるような気がするのですが、それはまた別の話。
気がつくと、土日だけではなく、平日の仕事終わりや出張先でもカラオケに直行していました。
年末に右脚に重傷を負うと、転んでもただでは起きず「ここぞとばかりに」カラオケシフトを強めていき、
気がつくと、年末年始休暇9日間のうち7日通っていました。
そんな試行錯誤の成果は着実に出るようになりましたが
追いかけても追いかけても逃げてゆく月のように(Byイエモン@バラ色の日々)、意外に89点が
近づくほどに遠く(Byマイラバ@Destiny)、足踏み状態が1ヶ月以上続きました。
正直、万策尽きていました。
児玉参謀総長到着以前の旅順攻防戦における乃木軍のように、何をやっても駄目でした。
奇策を放つものの、策士策に溺れるような感じで、かえって得意だったはずの曲で点数が取れなくなっていきました。
その時、何となく閃いたわけです。
「この島に欠けているもの(By伊坂幸太郎@オーデュボンの祈り)。」
洋楽。
あるじゃん、洋楽の中で、短くて、音域狭くて、強弱つけやすくて、リズムもとりやすくて、
歌いやすくて、普段から一番よく聞いているあの歌。
GREEN DAYの「MINORITY」
この曲に賭けました。
総戦力を集約し、海軍の軍艦からも大砲を拝借して、28サンチ榴弾砲の全砲門を203高地に向けました。
歌う度にコツを掴んで点数は伸びていき、1日に10回歌うこともありました。
曲名とは裏腹に個人的カラオケ曲の中では最大のマジョリティでした。
とにかく歌って歌って歌いまくりました。
幾千の星に抱かれて ロマンを叫び続けました。
錆びついた時は流れて(By LUNA SEA@END OF SORROW)
そして、2014年2月9日午後2時35分。
この時は、歌い終わった瞬間、勝利を確信しました。
得点発表の際のBGMも今まで聞いたことのないものでした。
ついに・・・
2.昨日の練習・・・・REST
3.90点(前編)。
さあさあ、久しぶりに、蓮見さん歓喜の、低体温低血圧低反発恋愛的回顧録風ネタ系英雄叙情詩長編です。
私が、人生で初めてカラオケに行ったのは、中学卒業間近の1998年3月12日でした。
大好きな女の子と二人で行きました。いわゆるデートってやつですね。
中学生にはカラオケの受付のシステムすらよく分からないのですが、
そこはもう全部相手にお任せ、なされるがまま、「気まぐれ、日替わり、時計の針(Byアンダーグラフ@ツバサ)」
受付を済ませて、部屋に入って、早速曲を選ぼうとするわけですが、何も思い浮かばないんですよね。
何しろ経験がないし、音楽の成績も酷いし、自分の声嫌いだし、そもそも、何で俺カラオケに来ようと思ったんだっけ。
これで彼女に格好悪いところ見せて印象悪くして、フラれて、勉強にも部活にも身が入らずに非行に走って、
学校退学になって、色々あって、第3次忍界大戦(By NARUTO)が起きて地球が滅亡したらどうしようとか、
とにかく「悪いことだけ浮かんできちゃって暗いイヤイヤイヤ(Byサーフィス@なにしてんの)」
そんな最悪な事態が脳内でエンドレスリピートし、五臓六腑が張り裂けそうなくらいの
絶大な緊張感が全身を支配する中、初めて機械に送信した曲は・・・
「愛されるより愛したい」(Kinki kids)
いや、自分でもこの選曲センスに脱帽するしかないのですが。
これがまた、今でも恥ずかしさのあまり全身から「烈火の炎(By少年サンデー)」が噴き出しそうなくらい下手くそでした(笑)
だって、ほとんど知らない曲なんだもん。
もっと他にあったはずなのに、テンパりすぎでしょ自分。
あれ、聞いている方も辛かっただろうな。
あんな歌声じゃ、私が蓋世のイケメンであったとしても、かぐや姫の千年の恋も醒めます。
ちなみに、その後はB’zの「LOVEPHANTOM」、TMNの「Get wild」と続きます。
もちろん、こちらも酷いものでしたよ、ええ。
一方、相手が最初に歌った歌はマイラバの「Hello,again」で、
2曲目はELTの「Face the change」でした。
知っている人は知っていると思いますが、前者は大学4年の頃の追いコンのBGMで、
後者は今では私が結構よく歌うレパートリー曲だったりします。
(ちなみに、その後はSPEEDの「STEADY」、DEEPSの「ハピネス」と続きます。ってよく覚えるな。)
まあ、それはいいとして、彼女は明らかに歌い慣れているし、上手でした。
本当にあいつ中学生だったのかよ(笑)
今でもあの日のカラオケでの一連の出来事は忘れられません。
「一億と二千年後も(By創世のアクエリオン)」忘れないでしょう。
楽しいデートのはずなのに、あんなに辛かった2時間はその後の人生でもなかったかもしれません。
店を出るときには、精神的にも肉体的にもそれまでに味わったことのないほど極度の疲労を覚え、
まるで「大都会に僕はもう一人で投げ捨てられた空き缶のよう(By WANDS@世界が終わるまでは)」でした。
音楽は聞くものであって、他人に聞かせるものではない、もう2度とカラオケには行かない、と思いました。
実際にその日以降「今日の誓い(Byビートルズ)」が完全に守られることはありませんでしたが、
学生の遊びの典型であるにもかかわらず、学生時代にカラオケに行ったのは、5回以下でした。
それも、終電をなくしたから、とか非常事態の場合がほとんどでした。
とにかく意地を張り通して、カラオケは徹底して避けていました。
「そーれでもっ(Byイエモン@バラ色の日々)」「時は奏でて(Byラルク@虹)」、じゃなくて、時は流れて、あの頃は考えられなかった、
「一人でカラオケに行く」ということが、それなりに「小市民ケーン(木梨憲武主演)」を得るようになると、
また私の良くも悪くも負けず嫌いな性格がインテルの長友ばりに戦場の最前線にオーバーラップしてきて、
確かに、歌声は他人に聞かせるものではないけれど、誰にも聞かせないのであれば、
あの日の雪辱の機会が与えられてもいいのではないか、と考えるようになり、
こうして「接戦逆転合いまって 筋書なんかはないドラマ(By GLAY@Lovers change fighters, cool)」が幕を開けるわけです。
続く(ほどの話かよ!?)。
2.昨日の練習・・・・REST
3.朝日杯将棋オープン戦決勝▲渡辺2冠●−〇羽生3冠△。
外は20年に1度の大雪ということで、自宅で将棋観戦。
準決勝で若手のホープ豊島7段の穴熊を雁木で一蹴し、迎えた現代のゴールデンカード。
戦型は横歩取り。
2枚替えなら歩ともせよ、という格言を逆行するかのような怒涛の3枚替えを敢行して、
大駒を掻っ捌き、鉄壁の底歩で攻撃を断ち切り、
最後は2枚の竜を駆使して敵玉を21手詰めで打ち取る、という最高の将棋を見せてくれました。
こういう素晴らしい将棋を指してくれるから、羽生さんは最高です。
竜王、じゃなかった渡辺さんにもミスはあったとは思うけれど、何であんな将棋が指せるんだろうな。
どういう頭脳していて、どういう光景が広がっているんだろう。
おまけに、そんな羽生さんは長靴を履いて会場に現れたというから、これまた最高でした。
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(60分)
3.握手。
久しぶりの合コンの帰り道、会の反省も異性の講評も一切せずに、
熱中し続けた話は、AKB(NMB)の握手会のシステムについて、でした(笑)
驚いたのは、3月に発売予定のCDを購入すると、9月の握手会に参加できるという、
握手をするためにはえらい長期戦を強いられるということでした。
3月に買ったら4月には握手できるのだと思っていました。
あと、1枚買うより複数枚買った方が握手する時間がちょっと長いんだね。
当たり前のシステムなのかもしれませんが、そんなに話題あるんですかね皆さん(笑)
高城亜樹ちゃんなら会ってみたいし握手してみたい気もするけれど、
やっぱり会ったら何も言えないだろうし、私は握手して頂くほどの人間じゃありませんので、
遠くで応援しながら見守っているだけ、というのは駄目なのでしょうか(笑)
まあ、何でそんな話に終始していたのかといえば、おそらく思いは同じだったからでしょう。
言わないのが大人の礼儀だというのは百も承知だけれど、お願い、神様、もう少しだけ・・・
何、あの女、2度と会いたくないわ!!!!!!!
私は、あまり人を嫌いにならないはずなのに、初対面であれほど嫌いにさせてくれるのも珍しい。
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(60分)
3.メロス。
「走れメロス」において、メロスは全く走っていなかった、というユーモア溢れる記事が。
オチとして「走れメロス」ではなく「走れよメロス」の方が合っている、と。
いやー、同じようなこと考える人、結構いるんですね。
この記事の見出しを見たとき、頭脳に稲妻が落ちましたよ。
私も、高校3年生の頃、大学受験勉強の息抜きに、同じタイトルの小説を書いていました。
本家の中では竜巻のような速度で駆け抜けたかのような描写があるメロスですが、
実は結構遅かったんじゃないの、という揶揄というかへそ曲がり的発想に端を発して、
走るのが遅くていじめられっ子だったメロスが冒険の旅に出て数々の困難を乗り越え、
色々あって救国の英雄になるという、努力・友情・勝利の影響を全面的に浴び切った中二病丸出しのお話なので、
今回の自由研究を上梓した村田君のように学術的な考察は一切ないのですが(笑)
ちなみに「走れよメロス」については、このHPでも、2003年11月23日の日記において、軽く触れられています。
「(1)大学受験の憂鬱な夜長や退屈な授業中に執筆した幻の処女作「走れよメロス」発掘。
つまんねー(笑)いつかもの凄く暇なときがあったら裏日記に書きます。」
ですって。
その後の10年以上の間に「もの凄く暇なとき」は無数にあったはずなのに、
裏日記に「走れよメロス」が記載されたことはないようです(笑)
懐かしい。
2.昨日の練習・・・・REST
3.偽ベートーベン。
何というか、何とも言えない話ですよね。
その人の作曲だと思っていたら、全然違う人が作っていました、というわけですから。
でも、誰が作ろうとも、その曲はその曲ですから、曲の価値は変わらないと思います。
恥ずかしい話ですが、私はこの作者のことを知りませんでしたし、名前の読み方も分かりませんでした。
嘘をついたり騙したりするのも結構ですけれど、どうせ騙すのなら、墓場まで秘密のまま持っていってほしくもあります。
うん、世間で話題になっているほどには、興味のある話ではないので、こんなものです(笑)
2.昨日の練習・・・・JOG×10キロ(60分)
3.同期。
修習時代の同期が独立したことを祝して、久しぶりに同期会に行ってきました。
誰もがそれぞれ色々な事情を抱えつつも、逞しくこの世界で生き抜いてきていることを嬉しく思います。
「一緒になってバカやったあいつが(Byゆず@嗚呼、青春の日々)」一人前に経営者だもんなあ。
飲んだ後、オフィスにも遊びに行きました。
まだ狭くて雑然としていましたけれど、一国一城の主というのはやっぱり格好いいわなあ。
さて。
2.昨日の練習・・・・JOG×5キロ(30分)
3.2食。
練習を休んでいる期間、基本的に食事は1日2食でした。
まさに、働かざる者食うべからず、ならぬ、走らざる者食うべからず、という感じでした。
食事制限というような格好いいものではなくて、練習でカロリーを消費できない分摂取しないというだけの話です。
ダイエットの基本というか全ては足し算と引き算だと思います。
ただ、練習復帰したので、3食に戻そうとしたら、意外に腹が減らないんですよね。
慣れって怖いものです。
そういえば、2食生活も最初は塗炭の苦しみでしたが、慣れれば結構平気なものでしたね。
そんなわけで、久しぶりに普通に3食食べるのがなかなか苦しくもありましたが、無理矢理腹に突っ込みました。
練習するならその分はしっかりと食べないとね。
2.昨日の練習・・・・REST
3.復帰。
39日の雌伏期間を経て、ついにジョギング再開。
大丈夫だろうと思いつつもテーピングで患部をぐるぐる巻きにして、キロ8くらいのペースでスタート。
数百メートルで大腿部に筋肉痛が忍び寄り、1キロ過ぎには膝の皿が砕け散りそうになるなど、
怪我するまでにはおよそ考えられないような事態が次々と襲いかかってきました。
再発の恐怖に加えて、より現実的な痛みに顔面を歪ませながらも、
どこか、久しぶりに味わう充実感を全身に感じていました。
この日をどれだけ待ちわびていたことか。
この1カ月強、走れなかったことが、本当に辛かったです。
こんなに怪我が長引く予定ではなかったし、大田原マラソンを走り終えて走ることへの情熱が薄れかけてもいたのですが、
走れるけれど走らないというのと、走りたくても走れないというのは雲泥の違いです。
これからも、走れる限り走りますよ、私は。
2.昨日の練習・・・・REST
3.カラオケ。
結局競技復帰までに90点に到達することはできませんでした。
肉離れで戦列を離れてからというものの、唯一の運動はカラオケでした。
故障期間である、年末から1月中でカラオケに行った回数を「あなたのキス」ばりに数えてみたら、何と14回(笑)
そして、気のせいなのかもしれないけれど、有酸素運動をしていないと、
肺活量が落ちて、それがカラオケにも影響するんだよね。
歌っていて、シーズン中であれば難なく歌えた箇所が、意外に苦しくなってきたりして。
2月からは練習を再開するから、何とか1月中に本懐を遂げておきたかったのですが、
結局最高点は88.992点(ビューティフルデイズ@175R)でした。
あと1点なのですが、されどあと1点。
目の前には境界線、90点は近く果てしなく遠いわけです(By GLAY@Be With You)。
もともとカラオケがというか、歌を歌うこと自体がとても苦手で、
学生時代までにカラオケに行った回数なんて5回以下だと思います。
今では信じられないけれど。
でも、私がやっているのは、通常のカラオケというよりはただの採点競技という方が近いので、
歌っていて楽しいのかは正直なところ分かりません。
でも、いくら点数が取れないからといって、ビブラートに逃げたりはしません。
あれは邪道だ(笑)