12月の日記 1.12月31日(日曜日) 「僕らも行く頃」 52点! 1.12月30日(土曜日) 「彼女は18歳」 55点! 1.12月29日(金曜日) 「1区梶田2区伊達」 45点! 1.12月28日(木曜日) 「君たち名もなく貧しく美しいエリマキトカゲっ子だね」 50点! 1.12月27日(水曜日) 「ロック・ロッカー・ロックンロール」 48点! 1.12月26日(火曜日) 「対話方式の革命児」 44点! 1.12月25日(月曜日) 「小機械!?正気かい!?」 41点! 1.12月24日(日曜日) 「その冷蔵庫で何を冷やしますの」 39点! 1.12月23日(土曜日) 「疾風迅雷」 41点! 1.12月22日(金曜日) 「カウントダウン・パーフェクト、略して・・・」 37点! 1.12月21日(木曜日) 「ドンマイ・ドンタコス」 38点! 1.12月20日(水曜日) 「ファイナルもんじゃい!?」 40点! 1.12月19日(火曜日) 「鯨海酔候」 39点! 1.12月18日(月曜日) 「恋愛に感動はないよ」 41点! 1.12月17日(日曜日) 「キリヤマダのゴールシーンがかっこよすぎる件について」 43点! 1.12月16日(土曜日) 「天」 45点! 1.12月15日(金曜日) 「バビンスキー反射」 42点! 1.12月14日(木曜日) 「日本ランキング5位です」 44点! 1.12月13日(水曜日) 「フィニッシャーをコートから追い出せ」 47点! 1.12月12日(火曜日) 「おい、鬼太郎!!(やや高音で)」 47点! 1.12月11日(月曜日) 「彼女が私の二乗」 49点! 1.12月10日(日曜日) 「10人VS9戦4勝」 51点! 1.12月9日(土曜日) 「随時興奮」 54点! 1.12月8日(金曜日) 「シクラメンの香り」 46点! 1.12月7日(木曜日) 「分かりません!!」 48点! 1.12月6日(水曜日) 「串に刺さってロックンロール」 51点! 1.12月5日(火曜日) 「今日もいい天気ですね」 52点! 1.12月4日(月曜日) 「冗談@芸能人にならないで良かったです」 53点! 1.12月3日(日曜日) 「ジョイ残し」 55点! 1.12月2日(土曜日) 「梯子とおでんと竜ちゃん」 50点! 1.12月1日(金曜日) 「悪の権化@二重追い越しは禁止だぜ!!」 47点!
2.昨日の練習・・・・REST
3.激しい二日酔い。弱くなったものだ(笑)
そして、始まる3回目の箱根バイト。今年も局内での仕事なので寒風吹き荒ぶ中、外に出ないのはラッキーです。毎年恒例の箱根駅伝順位予想は明日発表。というわけで、今年も1年間のらりくらりと私とこのHPにお付き合いくださいましてありがとうございました☆
4. 第8曲 モーニング娘。「LOVEマシーン」(1999年)
高校に進学すると同時に、モー娘もデビューしまして、高校3年間、陸上部(短距離部員)の中ではなっちが大人気でした。
みんなASAYAN見ていたし、部活中の会話は好きな女の子の話とモー娘の話だけで大半が終わってしまうという、今考えるとめちゃくちゃ痛いというか、おめでたいというか、気持ち悪い集団でした(笑)
あの日々は果てしなく真剣で、果てしなくくだらなくて、果てしなく楽しいものでした。
そんな当時の部日誌を読んでみると、この曲が発売される前後は毎日どこかに必ずモー娘ネタが書いてあります(笑)
そんな、高校陸上部時代の青春を彩ったモー娘に乾杯!!
2.昨日の練習・・・・REST
3.勉強してからOB忘年会。
いやいや、思っていた以上に楽しい時間を過ごすことができましたよ。いや、本当に。最初に中西さんが乾杯の音頭をとったときなんか自分が入学したときを思い出しちゃったりもしましたよ。随分な誤解を招く発言もなさっていただいたりでしたけれども、良かったですよ。ええ、俺を切れさせたら大したものですよ。最近はずっと陸同では敬語を使われる身分だったので、久しぶりに後輩扱いされるのがたまらなく嬉しかったです。やっぱり後輩ってのは気楽だわ。そして、先輩方と一緒にいて思ったけどやっぱり自分は偉くなんかなれません(笑)いやーこういうのいいよ本当に。6年間陸同にいて良かったよ。
4. 第7曲 aiko「あした」(1998年)
この曲はaikoのデビュー曲なんですが、あいにく、デビュー当時に聞いたわけではなくて、印象に残ったのはもっとずっと後のことでした。
この曲を聞いて思い出すのはずばり、短距離ブロック長をやっていた大学3年の黒姫合宿です。
役員経験者でなくても分かるかもしれませんが、とにかく、5泊6日というのは果てしなく長いものでして、最後の最後はもう青息吐息なんですよ。
私は今年の全体合宿もそうでしたけど、この年の全体合宿でもまあ、なんといいますか、大コンパで色々やらかしてしまいまして、最終日なんて体力ほとんど残ってなかったのですよ。完全燃焼しつくした合宿でした。
帰りは当時会計だった三浦さんの車でして、会計は最後会員の皆さんが帰った後に宿に宿泊料金を納める関係で、最後の最後まで残っているんです。
そして、最後の残務手続きが終わって長い戦いを繰り広げた黒姫を出発したのが午後5時過ぎ。
正直、車のハンドルを握る三浦さんも疲労困憊なんですよ。そんな中、私は免許持ってないし、後部座席に乗っていたパパイヤはいびきかいて寝てるしで全然役に立たないんですよ。
そんな中、MDから流れてきたのが、この「あした」でした。
隣りで運転する三浦さんには黙ってましたけど、この曲が流れてきたとき、私は軽く泣いていたんですよ。いい曲すぎて。
全体合宿5泊6日、全身全霊を捧げて、果てしなく楽しくて、でもそんな楽しい時間も終わってしまうのかと思うと、これまた果てしなくやりきれない思いだったのです。もっと、ずっと、このまま黒姫で全員が笑って過ごせればいいのに・・・と感傷的な気分にもなりました。
あの涙に嘘はなかったです。そんなわけで、今でも家でこの曲を聞くときは必ず、あの暑く、熱い、黒姫での日々が蘇ってきます。
そんな、役員DAYSの一コマを蘇らせてくれる貴重な1曲です。
2.昨日の練習・・・・REST
3.勉強してから、日テレで軽く箱根のミーティングのはずが、終電で帰宅とは(笑)優勝は亜細亜です。
4. 第6曲 知念里奈「DO−DO FOR ME」(1996年)
何だよそりゃって言われそうですがこれもまた個人的には歴史的名曲(笑)
とはいえ、完全にナインティナインのオールナイトニッポンの影響なんですけどね。
MCの2人(というか岡村氏)がよっぽど気に入ったのか、番組開始から12年以上経過してますが、これが最も多く流れている曲でしょう。
今年も4回くらいは聞いたような気がしますし、このラジオだけでトータル20回以上は聞いているんでしょうね。
あの「ワチャゴナドゥーフォーミー」いいっすねぇ(笑)
基本的にここで紹介している曲の選定基準としては、「この曲を聞くと特定の何かの思い出が自然に鮮明に蘇ってくる」ことなんですよ。
あと何曲か書くでしょうけど、皆それぞれ心のどこかに特定の思い出と共にその曲が密接不可分に存在しているんですよ。
まあ、知念里奈の曲なんて、今じゃこの番組だけでしか聞けませんけどね(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.終日勉強。今日の日記のタイトルの意味が分かるあなたはSUGOI(笑)
4. 第5曲 SPEED「BODY&SOUL」(1996年)
中学時代の青春を彩ったアイドルグループといえばやっぱりSPEEDですよ。
ちょうど同世代だったし(私は多香子世代)、アムロ(ガンダムのほうじゃなくて)沖縄ブームもあったりでそれこそ大流行でした。
クラスメイトの中には多香子のファンがいて、多香子はただのダンサー役とバックボーカル役だったからCD買っても意味ないじゃんとツッコミを入れると「俺には聞こえるんだよ!!」と真面目に返されたものです。
まあ、それはともかく、SPEED,当時結構音楽番組を見ていた自分には彼女らのデビューは相当衝撃的なものでした。
年齢もさることながらデビュー曲の歌詞ですよ歌詞。
「同じステップの毎日じゃ生きてることさえ忘れちゃうそれじゃ張りがない!!」
おいおい、12歳に言われたくねーよ!!と、同じような毎日がこのまま永遠に続けばいいのになと願っていた当時14歳の私は思ったものでした(笑)
個人的に中学生時代はSPEED1強時代でしたね。何が今でもなお魅力かってあっさり解散しちゃったところが魅力です。引き際を誤らない、大英断だったと思います。あの手の集団の旬の期間なんて短いんだからね。
ってことを昔裏日記に書いたことがあるような気がしてきた(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.1限民事裁判基礎(高橋)間接証拠による事実認定。
ということで、年内の授業はこれにて終了!!最後の最後まで課題と格闘しましたけど、何とか大学で終わらせました。冬休みといいましてもわずか1週間で、忘年会やら箱根やらあるので、実際はそんなにゆっくりしてる時間もないんですけどね。夜はっせさんの掲示板に書いてあった飲み会に行ってきました。最初セイリュウ前に着いたら高田が一人で待っていたのでこれはどうなることかと思っていましたが、最終的には10人くらいにまでなりました。まあ現役幹事長の底力といいますか、旧幹事長の残忍さというのかは分かりませんが、COGはよく頑張りました(笑)
4. 第4曲 西田ひかる「人生変えちゃう夏かもね」(1995年)
さて、そんな涙の小学校卒業があったりしつつも、中学に入ってしまえばそんな昔のことはスパッと忘れてしまうのですよこれが(笑)
それでも、中学に入ると何かと激変するんですよね。
電車賃が今までの倍になったり、ゲーセンに入れるようになったり、そして、ツタヤのCDレンタルができるようになったんですよ。
この曲は小学校卒業間近の3月に発売された曲で、ツタヤの会員になったときに、人生で初めてこのCDをレンタルしたのでした。
って今考えると意味分からないんですよね。
最初に借りた曲が西田ひかるの曲って、なかなか中学校1年生じゃいないでしょうし、他にもっと売れていた曲ってあったと思うんですよ(笑)人生変えちゃう夏かもねって言われても、まだ4月だよって話ですよ(笑)
学生証提示して身分を明かして、会員証を作り、CDを初めて借りたときは「自分結構これで大人の階段昇ったんじゃね?」とか勝手に思ってました。
そんな思い出の1曲です。
2.昨日の練習・・・・REST
3.2限民事判例研究(中田&高橋)中間利息の控除割合。発表終了!!爆笑も取れました(笑)ってことでこの授業(レポートが不可じゃない限り)個人的には終了!!
5限労働法ゼミ(盛)有期労働契約と解雇権濫用法理。ぐっすり(笑)
4. 第3曲 松任谷由実「春よ、来い」(1994年)
ちょうど小学校の卒業の足音が迫ってくる頃の曲でした。この曲は初めて友達に借りたCDで、その、まあ、何というか、そのまま今でも持っていたりもするわけで・・・いやいや借りパクとかそういう人聞きの悪いこと言わないでよね(笑)
昔から私は物事の区切りの度に涙を豪快に流していたものでした。もう2度とこんな楽しい思いをすることはできないんじゃないか、なんて衝動が急に襲ってくるのでしょう。例えば、1月3日は必ず泣いてました。何故かといえば、箱根駅伝が終わってしまうからです。箱根駅伝を1年間心待ちにしていた純朴な少年にとって、これほど待ち遠しいものもないのですが、終わってしまえばまた1年後。少年には耐え切れない悲しさでした。
そして、小学校卒業もやっぱり悲しいなんてものじゃありませんでした。私たちの世代は色々な意味で最強・最狂・最凶世代で、平常の何もかもが破天荒な楽しさに満ち溢れていました。そんな仲間と別れてしまうのはこの上ない悲劇だったのです。「春よ、来い」は初めて音楽を聴いて涙を流したことで強烈な印象を残しています。もう、前奏聞いただけで涙あふれてきて、最後まで聞けないんですよこれ。これを聞いて卒業式で「ありがとう・さようなら」を歌い、「威風堂々」で体育館を去るころには一生分の涙を流しきっていたような気がしました。
2.昨日の練習・・・・REST
3.3限法社会学(河合)部落解放と検挙率と治安。
5限法曹倫理(村岡)共犯者間の共同受任。
深夜の特別講義、人生の敗者論(羽鳥文久)4分間の電話講義の要約をすると、ピエールバイト裏切った(事実)、ジョイトイ合コン(事実)、ミルコも合コン(虚偽)、N口はカス(事実)、俺(羽鳥)は天才(事実)ということです(笑)
4. 第2曲 B’z「BLOWIN’」(1992年)
B’zといえば個人的にはこれなんですよね。
最近というか年々どんどんギターの重厚感が増してきて曲調が重苦しくなっていきますけど、初期の頃の軽さが私は好きでした。
それこそ「風に揺れる心を抱えたまま」くらいの、ゆるく、軽く、元気良く、それでいてリスナーを飽きさせない独特の世界観が私にはちょうど良かったです。
初めて聞いたのはいつの頃だったか覚えていませんし、タイトルの意味すら分からなかった頃ですが、とりあえず、CD買って日がな一日中聞いていたような思い出があったりなかったりです。ライブも行ったなあ。懐かしいなぁ。
って、そういえば昨日は初球から森高千里で大暴投気味の豪速球でしたけど、今日は意外や意外(?)ど真ん中の直球でしたね(笑)
「シビれるような眼差しをずっと忘れないで」
2.昨日の練習・・・・REST
3.終日勉強。
4. 今日からしばらく時間短縮営業ということで特別企画「(個人的に)歴史を変えた(であろう)名曲集」をお届けします。読み飛ばし大歓迎!!(笑)
第1曲 森高千里「私がオバさんになっても」(1992年)
私にとって音楽というとここに遡ることになります。
家で見ていた紅白歌合戦でこの曲を熱唱している様を今でも覚えています。
曲の意味だとかは全く分かりませんでしたけど、おそらく小学校の3年生くらいにして初めて「あっこの人好きかも」と思ったような気がします(笑)
だからこそ、他に紅白歌手はいくらでもいたのにこの曲を歌う森高千里の映像だけは今でも脳裏に焼きついています。
おそらく私の中で小学生時代は森高千里1強時代でした。
「私がオバさんになったら、あなたはオジさんよ」
2.昨日の練習・・・・REST
3.3限俺様の美学(キリヤマダ)「何事も2番くらいがちょうどいい」
4. 第44話
ということで、回想録1年生編は無事終了。4年生くらいになってからかな、1年に何回かは必ず聞かれることがありまして、「先輩的には昔の陸同と今だったらどっちの方がいいんですか?」ということです。「昔はどうだったのですか?」もこれに類する質問ですね。まあ漠然とした質問だからいつも漠然と返してますけど、これは凄く返答に困る質問なんですよね。昔は昔の良さがあるし、今には今の良さがあるのだと思います。少なくとも、あの頃は楽しかった、と慨嘆に暮れる日々を後半3年間送らなかったことは間違いないです。いつだって今が一番だと思って生きてきました。これは小学校の時も中学の時も高校の時も大学の時も大学院生になっても同じです。もうこれ以上に素晴らしい日々を送れることはないだろうとその時は思うんですが、いつの間にか新しい楽しみ方を会得している自分がいるわけです。
話は戻りまして、昔と今では何が違うかと聞かれたら、何もかも違うと答えるでしょう。構成員が全く異なっている以上、これは至極当然のことだと思います。そして、それはどっちが素晴らしいとかいう判断に馴染まない性質のものなんだと思います。唯一つ、変わっていないというか、変わらないでいて欲しいと願い続けてきたことは構成員全員とりあえず陸上が好きだということです。この思いを共有できるうちはまだまだこの団体も安泰でしょう。
というようなことをキリヤマダの5000Mを見ながら考えたりもしました。陸同会員の5000M14分台を目の前で2人見たことがあるのは現在では私だけでしょう。永田さんの同好会新記録挑戦を中央大学まで見に行ったとき以来4年ぶりでした。あの時永田さんもほんのわずかの差で新記録を逃しました。それ以降4年にわたって14分台不在の大空位時代(世界史の教科書風)が続き、ついに今年の最後になってまた新たな挑戦者が現れ、今度こそと思い、その瞬間を見届けに行ったのですが、今後もまたほんの数秒の厚い壁に跳ね返されてしまいました。結果的には残念でしたが、昔の記憶が蘇ってきましたし、14分台出すときが来たら必ず応援に行くというずっと昔の約束を幾星霜もの時を経て果たすことができたのは嬉しかったです。その限りではこの団体で長生きしていて良かったなと思います(笑)
※年末は課題山積だったり、余裕があったら卒業文集も書こうと思うので回想録はしばらくお休みします。
2.昨日の練習・・・・REST
3.終日勉強。
4. 第43話
結局初合宿は大遅刻&費用不足に始まり、女性に豪速球を見舞うことに終わるというこれまた鮮烈なデビューでした(笑)帰りは青山さんの車に乗り、三鷹の駅から、ちょっと太め(?)の青年と一緒に電車で帰りました。そう、彼こそが当時の陸同副幹事長・ツッコミの松さん。残念ながら前年度の総会に参加していない私は彼が天下の副幹事長だということも知らなかったし、それ以前にお会いしたことはおそらくなかったので、実質この合宿の帰りが初対面でした。「N口は法学部だよね?」「松先輩は理工学部ですよね?」というこれ以上にないくらい場当たり的な会話が続きました。まさか、この半年後には「松さん、早く魚や行きましょうYO!!」なんて会話をするようになるとは夢想だにしませんでした。第一印象というかまず最初に疑問に思ったのは「本名は何?」ってことでした。みんなが「松」って呼ぶから「松」というのはあだ名なんだと解釈し、おそらく本名は「松本先輩」とか「松下先輩」なんだと思ってました(笑)そしたら、本当に本名は「松」なんだもので衝撃でした(笑)まっつんにこの時ほんの駅3つ分くらいですが会話しておいたことが、後々どれだけ私の陸同生活を円滑なものにしたか、それが分かるのはもっとずっと後の話。
さて、1週間後、いよいよ陸上シーズン開幕!!関東学連オープン@江戸川。駅から競技場までの道のりが全く分からなかったですね。結果は当時の自分には受け入れがたいくらい悲惨なものだったのですが、今考えれば、あの時期(3月)にあの条件(向かい風1M)であのタイム(22秒77)なら十分ですよね。ちなみに、この記録で、2001年度200Mランキング1位を獲得。これからはN口の時代到来の機運モリモリでしたが、最初で最後でした(笑)
ということで、1年生も無事に終わり、3月末になると、同期の役員も新歓準備に追われ、猫の手も借りたいくらいの状況でしたので、私の元にも新歓準備のお誘いというか召集令状が来たわけですよ。もうこの頃になると、陸同の素晴らしさも少しくらいは分かりかけてきていたし、こんな自分でよければ微力ながらお手伝いしようかなとも思っていたので、その召集に私は堂々と答えました。
「あっ4月の頭は高校の合宿行くから無理」
最初から最後まで貢献度ゼロ!!(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.1.2限問題解決実践(後藤)共犯関係の離脱と一致供述による証明力の回復。
3限租税法(水野)利子所得と配当所得。
4. 第42話
フィールド合宿2日目の夜(いわゆる大コンパ)だったかな、トイレに行って部屋に戻ろうとしたときに、とある先輩とトイレですれ違ったんですけど、そのすれ違いざまに「HP面白いね」とおっしゃってくれたのですよ。誰だろうと一瞬思ったけど、4月の最初の練習会のとき馬場に集合して、織田まで引率してくれた、「どっかにかわいい子落ちてねえかなあ」でお馴染みなのかは分かりませんでしたけど、服部さんでした(笑)HP開設から1ヶ月経過しない時期だったのですが、意外な人も見ているものだと思いましたね。やっぱりいくら自己満といいながらも何だかんだで一度開設してみるとそれなりに反応は気になるのが人情ってやつですよね。全く誰もノーリアクションでアクセスゼロだったら気持ち良くはないよね。確かに掲示板に書いてくれる人はいました。それでも、直接面と向かって言われる方がやっぱり嬉しいわけですよ。恥ずかしかったけど(笑)
余談ですが、「裏日記」は当時結構衝撃を与えたようでした。「あいつ、こんな奴だったのか!?」と驚かれた方もたくさんいたそうです。記念すべき第1話が「安倍なつみ」ですからね。陸上のことしか考えてないストイック野郎のイメージは木っ端微塵になったのでした(笑)
さて、フィールド合宿も最終日、最後に体育館でドッチボールをやりました。50人くらいの大人数でやったものだから、コートに人が充満しているわけですよ。そんなにいたら適当に投げたって誰かに当たりますよ(笑)んで、たまたま私が投げたら、標的となった人があっさり避けちゃって、その後ろにいた1個上の代の女性(石井さん)に直撃!!男に当てるつもりで投げたから本気で投げまして、そんな豪速球を思いっきり女子に当ててしまったわけですよ(笑)すぐさま土下座でした(笑)当時はただ楽しかったな、くらいのものでしたけど、今考えると、最初から最後まで縦横無尽、やりたい放題の合宿でした。酒は全然飲まなかったので、朝練も普通に出ていたし、むしろそこに酔いつぶれて出てこない人間のことを「下に見ていた」くらいだったのですが、年を重ねるうちにいつしか、当時下に見ていたような人間になっていってしまったのでした(笑)午前練も午後練もしっかりやりまして、特に本庄の校内でやった坂ダッシュは楽しかったですね。あの坂があるなら冬季練でもトラックいらないわな。
というわけで、初合宿も無事に終わり、1年生DAYSも残り2週間!!
2.昨日の練習・・・・REST
3.1限民事裁判基礎(高橋)書証による事実認定。
冬ですね。この季節は一年で一番女子高生を尊敬する季節です。世の中にはコート着てマフラーして手袋して帽子被っている人が大多数なのに、彼女らと無邪気な小学生だけですよ、あんなにあからさまに肌を露出しているのは。いやらしい目で見る前に驚きの眼差しですよ。しかも、よく分からないのは、駅前で待ち合わせしていて、その相手が来るとその第一声が「寒いよね〜」って言うことです。いやいや、寒いなら、寒いでもっと他に防寒対策あるでしょ!?何で君はマフラーしてるの!?もっと他に温める箇所あるでしょ!!そして、早朝の寒空の下で待ってるのが寒いなら、さっさと先に行きなよ(笑)どうせ駅から徒歩で行ける範囲に学校あるんだから学校で会えばいいでしょうが!!
とまあ、大学の最寄り駅を降りると毎日思うわけですよ。そしてね、あんな罰ゲームみたいな格好して半年も耐えられるのなら、世の中たいていのことは成し遂げられるだろうと思いますよ。あの子らが何で勉強ができないのかがさっぱり分かりません。明らかに勉強より苦しい思いをしているだろうと思うのですが(笑)極寒の冬に脚出して歩くくらいなら1日中監禁されて勉強しているほうがずっと楽だしむしろそっちを嘆願します。決して真似できませんよ。そして、そんなくだらないことを脳裏に浮かべながら大学に行くと、さすがに院生の同級生に同じような格好をしている人はあまりいなくてちょっと安心する昨今です。・・・なんてなことをあーだこーだ思っているうちは俺も女心の初歩すら理解できないだめ人間ですな(笑)でも、人間同士決して分かり合えない部分があるからこそ面白いんだとも思いますけどね。
亀田戦を見ました。まあ、あれは勝ちだね。
2.昨日の練習・・・・REST
3.2限民事判例研究(高橋)相続の欠格事由と固有必要的共同訴訟。
5限労働法ゼミ(盛)ロックアウトと時限スト。
4. 第41話
さあ、練習も終わって、夜といえば、今も昔も皆さんのお楽しみは一つしかありません。そうです、コンパです、COMPA。といってもその当時の自分には全然お楽しみでもなく、できれば避けて通りたい道でした。ここらへんは全く橋詰レベルでした(笑)一応くじ引きか何かをしてグループに分かれて、主催者(近藤さんと賢さん)が乾杯して、いざコンパが開始されたわけですが、相変わらず酒全く飲めないんですよ自分。学年会デビューの時もちょっとは飲みましたけど、微々たるものだったし、あの時は地味にサワー方面に逃げたりもしていたのですが、合宿といえばこの当時は男性絶対優勢時代だったので、飲み物はほぼビールだけで、申し訳程度に転がっているサワー類はこれまた数少ない女性陣が持って行ってしまうものですから、自分何も飲めないんですよ(笑)「純」を一気飲みする風習はこの頃は(おそらく)まだなくて、この後に我らが跳躍ブロック長のサイトウジュン君が開発してくれるのですがそれもまた後の話で、この当時は純はただの割る用でした。山本が2本連続一気に飲み干すあれは決して昔からあった伝統ではないのです(笑)
さて、そんな所在なさげな私は何をやっていたかというと、コンパ開始後から30分以内に戦線を離脱して「トランプ」ですよ!!(笑)しかも主催者と一緒に!!(笑)近藤さんも賢さんも酒にたいそう弱かったため、あっさり轟沈なさってしまったわけでして、避難先のラウンジで当時の1年生と主催者で「大貧民〜小石川ルール〜」を激烈に始めてしまっていたのでした。小石川ルールとは何ぞやって話ですけど、ただの「イレブンバック(ジャック出したら逆周り)」でした(笑)この時、結構初めて話す同級生が多くて、ようやく学年に馴染んできたような感じがしました。さすがに主催者がコンパ放置してラウンジでトランプというのはまずかったらしく、幹事長が近藤さんをコンパ部屋に拉致してしまい、トランプ大会はこれにて終了!!コンパは2泊だから2回あったわけですが、2回とも自分はこんな感じでした。今思えば、当時の4年生の最後の合宿だったので、少しくらいはお話を伺っても良かったとも思いますね。あっでも、チンネンさん(当時4年)の「ロケット」は今でも忘れません。ってこんなこと書いてもこのHP見ている大半の人にはどうでもいいことですね(笑)まあ、簡単に言うと「○○さんは巨○」だということです(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.3限法社会学(河合)ADR。
妹(学部1年生)が前期にやったのと同じ課題を俺(大学院2年)に出されても(笑)って良く考えたらこれで妹に負けたら俺の6年間は何だったんだということになりかねないから、必要以上に緊張してきました。
5限法曹倫理(村岡)安田弁護士事件と麻原弁護過誤事件。
4. 第40話
さて、そんな波乱含みで始まった私の初合宿ですが、これ以降は結構無難に生活した・・・んだと思いたい(笑)もうこの辺りになるとHPも始まってますし、概略くらいはそっちを見れば分かってしまうので、当時HPに書けなかったようなことをここでは書かないと意味ありませんな。まず、驚いたのが、練習場所。てっきり早大本庄高校にはタータントラックがあるのかと思っていたのですが、あるのは普通の土グランド。じゃあどこで練習するのかといえば、本庄から100キロ離れた群馬県の浜川まで1時間ちょいかけて車で大移動するわけですよ。参加人数総勢40人くらいが(笑)よくそんなに車あったなと感心しましたよ。んで、その時は青山さん(1個上)の車に乗ったわけですが、考えてみると、親以外が運転する車に乗るのは初めてだったんですよ。大学生の運転はどんなものなのかちょっと緊張もしたわけですが、これがまた高速を物凄い(と当時思っていた)スピードで飛ばすんですよ。何と140キロ!!我が家の皇帝は安全運転なので100キロ出すことすらなかったので、この超スピードには驚きを通り越して、小便ちびりそうになりました(笑)まあ、怖かったとか言いながらも後部座席でグーグー寝ていたんですけど。ちなみに青山さんは早実出身で、この1代下の同じく早実出身の橋本君の車ではスプリント合宿の下見のときに170キロを体験させていただき、さらにその3代下の早実出身の山本に至って、河口湖へ向かうときに195キロという神速を体験させていただき、スピード狂列伝は見事に完結するのですが、それはまだまだ先の話です(笑)そして、そんな早実3人のおかげでスピードに対する免疫はつきました(笑)
トラックに着いたのはいいのですが、帰りの時間のことも考えると実はそんなに悠長に練習している時間もなく、練習は割りとあっさりと終わったのだと思います。最後に300Mを当時の精鋭の方々(6人くらい)と一緒に走らせていただいた時に、設定タイムを無視して勝手に暴走して、目を付けられてことがいい思い出です。まあ、大逃げを打っておいて、最後は西山さんにあっさり差し切られたんですけど(笑)
ノートパソコンが死んだ。卒論(?)のバックアップ取ってなかったら私は発狂してしたことでしょう(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.終日勉強。6年間で唯一参加していないイベントは役員のときですら行ってないクラ対駅伝です(笑)
4. 第39話
さて、陸同的には、追いコンが終わるといよいよ皆さんお待ちかねの春合宿シーズンです。
全体合宿・・・行きませんでした。
中長合宿・・・もちろん行きませんでした。
明らかにこの2つに行かなかったのは大誤算ですね。学年会デビューも果たしたし、陸同にも大分慣れてきて、お世話になった幹事長坂本さんが主催していて、しかもHPまで持ってるくせに合宿に行かないとは何事だよ俺(笑)おそらくこの時点でも、競技者的立場から脱却できずに、合宿行くとやっぱりみんなで大酒飲んで、練習もまともにできないだろう、という考えは色濃く頭脳に残っていたのでしょう。学年会には行ってみたけど、学年会と合宿では規模も違うし、同じようになるはずない、と。まあ、その視点は非常に鋭いものではあるんですが、やっぱりまだ硬直的なというか安易な発想でしたね。
同じように、中長合宿も歯牙にもかけませんでした。「俺は短距離だから、中長合宿は関係ないだろう」まあ、それも一理あるし、下級生時代には誰しも当然に思いますよね。他のブロックの合宿に行っても意味ない、と。これがまた、全然違うんですけど、それに気がつくのは1年後のことでした。あれだけ好き勝手できる合宿はありません(笑)今では中長合宿に短距離の人が参加しても全然違和感なくなってきましたけど、当時はまさにレアケースでした。だから、当時の私の考え方も当時なりの陸同内社会通念に則れば、ごく正当なものだったことでしょう。
では、3つある合宿のうち全部参加しなかったのかといえば、それもNOです。最後のフィールド合宿には参加しました。年度内最後の合宿になってようやく参加したのでした(笑)参加した理由はごく簡単で、「安いから(当時は本庄セミナーハウス)」と「練習メイン(っぽい)だから」です。この合宿には行く気満々だったらしく、合宿の1ヶ月以上前から近藤さん(当時の跳躍ブロック長)に申し込みをしたものでした。1ヶ月以上前って、全体合宿や中長合宿が始まる前だから、そんなに断固としてその2つに行きたくなかったのかよ、と今なら思います(笑)
んで、合宿当日になって、それなりに初合宿という緊張感を持って、電車に乗り込んだわけですよ。高崎線とか宇都宮線とか初めて乗るわけですよ。どっちが高崎でどっちが宇都宮かなんて都民には分かりませんよね?(笑)そうなんです、宇都宮線に乗ってしまって、いつになっても本庄駅に着かないんですよ(笑)途中で、気がついて、顔真っ青になって引き返しました。栃木県に連れていかれるところでした。それで、30分遅刻・・・主催者マジ切れ・・・ということはなく笑顔で迎え入れてくれました。海より深い度量に感謝感激。しかし、私はそんな主催者にもう一つ告げにくい事実を告げなければなりませんでした。
「あの〜僕、5000円しか持ってこなかったんですけど・・・」
これにはマリアナ海溝より深い慈愛に満ちた主催者もさすがにあきれ返ってしまいました。合宿参加費は2泊3日で10000円!!(これでも相当安いんですが)1番最初に申し込んだ気合はどこにいったんだよ!?(笑)
遅刻の上に参加費も足りない・・・そんな鮮烈な合宿デビュー!!
2.昨日の練習・・・・REST
3.3限人生の勝者論(西村カズアキ)公認会計士合格者のありがたいお言葉を拝聴・・・んなこたない(笑)
そんな、カズアキに会う前に塩野に渡す物があったので、泉谷しげるばりに役員会に乱入したのですが、一部例外はある気がしますけど、だいぶ若返りましたね。自分があの輪にいたのはいつのことだったか。1年間頑張ってください。
4. 第38話
さあ、話はフェブラリーステークスの後に戻りまして、いよいよその翌日に、(ある意味)歴史的一大事件発生。なんと、HP誕生!!前年の12月に作成に着手して、あまりのめんどくささに心が圧し折られて投げ出しっぱなしにしておいたHPだったのですが、試験も終わりまして、これから特にイベントもないし(本当は春の全体合宿の直前だったのですが)暇で暇で仕方なかったのですよ。だから時間に糸目はつけず、頑張って作ったのが、このHPです。ソフトとか一切使わず、全部タグ打ちでやってるものですから、やっぱり完成度は相当に低かったのですが、一応5時間ほどで完成!!途中、やっぱりまためんどくさくなってきてまたやめようと思ったりもしたのですが、また中途半端人間になってしまうのも嫌だったので、「頑張れ俺!!安倍なつみが待ってるぞ!!(当時はなっちファンでした)」と自分を鼓舞して頑張ったものでした。まあ、ここで一生懸命作った後は、途中コンテンツの改廃はありましたけど、ほぼ全てコピー&ペーストで5年間乗り越えてきました。ですから、完成度は当時となんら変わってません(笑)
一応HPが完成した後、決めなきゃいけなかったのがHPタイトルだったのですが、これは一瞬で決めました。作っているときに聴いていた音楽であり当時はまっていたのがオアシスというバンド(結構有名だよ)のファーストアルバムだったので、その中の曲のタイトルから拝借しようと思って、今のタイトルにしました。もう一つ候補「LIVE FOREVER」があったのですが、陸上やってるんだし、まあ前者の方がいいだろうということであっさり決まったのでした。それに、気に入らなかったらすぐに変えればいいやとも思っていたので、(仮)をつけてあくまで仮タイトルにすぎないという逃げ道を作っていたのでした。よく見ると今でも(仮)は付きっぱなしで、仮タイトルのまま5年間来ちゃったんですよ(笑)
完成後、相互リンクをお願いしたのが、酒井さん、坂本さん、二宮さん、西山さんでした。この人たちの横綱級の圧倒的知名度に比べれば当時の私など、序二段くらいのものでして、虎の威を借る狐の如き心境でした。何でHP始めたのかと問われれば、「流行ってたから」と「PC使いたかったから」くらいのものでした。同期もまだ誰もやってませんでしたし、なら自分がやってしまえ、というごく単純なものでした。この頃はまだアクセスカウンターも付けてなかったのでどんなアクセス状況だったかは分かりませんが、間違いなく一日一桁だったでしょう(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.終日勉強。今日の日記のタイトルの意味が分かる人はある意味凄い!!
4. 第37話
話は多少戻りますが、1月下旬から2月の初頭にかけて大学の期末試験がありました。法学部は(って他の学部もそうなのかもしれませんが)後期一発勝負の科目が多く、落とす奴はもう、とことん落とすわけですよ。んで、誰も彼も、試験前になると生協に行って予備校の参考書を買ってしこしこと24時間営業の22号館徹夜で暗記して、試験当日に目の下に物凄いクマを作って現れ、試験問題を見るや否や、知っていることをただひたすら解答用紙の裏まで書き連ねて、とっとと答案を提出して、すぐに次の科目に備えて、猛暗記を始める・・・の繰り返しというのが一般的な法学部生なんですよ。現在の陸同の法学部生は皆さん超優秀な人ばかりなので、一概に一般の法学部生モデルが当てはまることはないと思いますが(笑)かくいう私はどうだったのかといえば、一般的法学部生と同じようなものでした(笑)60分しか試験時間ないのに30分くらい遅れて教室に入って20分で刑法総論を書き上げたのが懐かしいです。結局、そんなこんなで1週間にわたる死闘を乗り越え、1年生は見事にフル単でした。まさかこの後4年生まで
フル単を取得することがないなんてことになるとは夢想だにしませんでした(笑)志賀風に言うなら「法学部は単位認定厳しいんだよ!!」
試験が終わって、すぐのことでしたけど、当時短距離ブロック長だったまえけん・・・じゃなくて前田さんから、「所沢でサッカーせえへん?」という短ブロメーリングリスト(ってものが当時はあったのですよ)で回ってきまして、試験が終わって特に何もやることがなかった私は彼のお誘いを快諾したのであった(雑草魂風)。しかし、天気は今にも雨が降りそうな荒天。しかも、所沢キャンパスがどれだけ遠いのか当時知らなかったのに、行くなんて言っちゃったものだから、あまりの遠さに驚いたものでした。だって、まず、所沢キャンパスなのに「所沢駅」じゃないんだよ!?小手指駅だなんて「聞いてないよー!!(ダチョウ倶楽部風)」さらに、小手指駅から有料バスに乗るなんてことも「聞いてないよー!!」多少なりとも行くって言ったことを後悔したものですが、こんな天気でも行けば誰かいるだろうと思って現地に着いたら、待ってたのは、前田さんとあだけんさんだけ・・・(笑)しかも、所沢の寒いことといったらありえません!!(笑)仕方なく3人でサッカーを始めたのですが、ただでさえ寒いのに、始めたとたんに雪襲来!!気温は氷点下!!極寒・獄寒!!最高の所沢デビューでした(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.1、2限問題解決実践(上原)固有必要的共同訴訟と遺産確認の訴え。ひどいものですよ。ボコボコにされた。
3限租税法(水野)利子所得。
4. 第36話
さあ、学年会の初陣を飾り、陸同の魅力にまた一つ目覚めた自分でありましたが、この後もオフィシャルイベントにはなかなか顔を出しませんでした。まずは、追いコン。さすがにこの頃になると連絡網も回ってくるようになっていたし、役員をやっている同期からも誘われたのですが、参加しませんでした。理由は不届きですが、至って単純。「追いコン?あー卒業生を追い出すパーティーか。いくら?えっ!?10000円!?ちょっと無理だな」というものでした。当時の4年生と1年生時代にほとんど接する機会もなかったから、具体的に誰が卒業するのかも分からなかったし、何より、純粋に10000円が高いと思ったのが決定打でした。いや、本当にすみません。追いコンの1次会にまだ参加したことがない人たちはやっぱり当時の私と同様に金額がネックになったことでしょう。でもね、行けばきっとその金額に数倍する感動を味わえますよ。次の追いコンには試験前日でもない限り多分私も参加しますので、皆さん来てね☆
さて、陸同的には追いコンが挙行されたその翌日、私は東京競馬場に、陸同の競馬ブロックの方々と一緒にフェブラリーステークスを見に行きました。もちろん何とか投票券も買ったとか買わなかったとかなのですが、あれは一応学生は買ってはいけないので、買ったとは明言いたしません(笑)競馬ブロックの方々は、その時初めて接した人もいらっしゃったわけですが、何と言うかまあ、ぶっちゃけ競馬新聞が良く似合うおっさんっぽい人ばかりでした(笑)しかも、追いコンの3次会が前夜祭代わりだったようで酔っ払いばっかりで、おっさんオーラに拍車がかかっていました(笑)この人たち本当に自分と1つ2つ差なのかよと思ったものでした。
そのおっさん連中の中に、一人だけ泥濘の中で清廉に咲く蓮のようなといったら間違いなく誉めすぎなんですが(?)、若い女の子がいたんですよ。およそ似つかわしくないんですよこの場所に。あれは誰なんだ・・・後で判明したのは、あれは1女であり、同級生だということでありまして、あの子が、後年の私たちの代の他大代表でした(笑)
そういえば今日は赤穂浪士討ち入りの日なのですが、全くどこも報道してませんね。それはそれで寂しいです。
2.昨日の練習・・・・REST
3.1限民事裁判基礎(高橋)表見代理(109条、110条、112条、重畳適用)
4. 第35話
たかが1回の飲み会の話に3話も費やすなよって話ですけど、まあそれだけ大きな出来事だったということなので許してください(笑)さて、坂本さんと一緒にまんぷく亭に到着すると、当たり前のことですが、びっくりされるわけですよ。「えぇ!?」「何で来たの!?」ただ、そこで思ったのは、意外に自分は知られているなんだなということでした。誰も知らなかったらこんなリアクションすらなく、ひそひそと「あれ誰?同級生にあんなのいたっけ?」みたいになっていたことでしょうし。なぜだかよく分かりませんが、主賓のような座に着きました。横には冷血会計西山さん、正面に最高権力者坂本さんを従え、いざ乾杯。陸同での4月の新歓コンパでコップ5センチ飲んで以来の飲酒でした。
名実共に(他学年のですが)学年会デビュー!!
おそらく長い陸同の歴史の中で他の学年会で学年会デビューを飾ったのは私のみでしょう(笑)学年会に行くということで一応イメージを膨らませていたのですよ。想像のモデルとなるのはあの4月のコンパで、この学年会でもやたらと騒いで、コールが飛び交って、理不尽に飲まされるのかと思っていたんですよ。そしたら、意外や意外、まったり飲んでるんですよ。もちろんそれなりにコールは百花繚乱でしたけど、思ったほど無法地帯になるわけではなかったことにちょっと驚きました。奥の方では、何やら頭髪の薄いおっさん(失礼)が写真を回していたりしました。この時はこのおっさんが陸同会員だなんて夢想だにしませんでした(笑)勘の鋭い方なら、誰のことだか分かりますよね(笑)1次会も終盤に差し掛かり、西山さんが私に聞いてくれました。「(学年会)どう?」と。私はちょっと考えて率直に言いました。
「飲み会ってこんなに楽しいものだったんですね」
思ったよりも普通に話すこともできたし、理不尽に強要されることもなかったし、かわいい1年生(だったはず)を優しくもてなしてくれていたような気がしました。まんぷく亭に来るまでに漠然と抱いていたイメージはいつしか氷解し、自然と思うようになりました。「あれ、これ・・・楽しいんちゃう」と(笑)そんな楽しさを教えてくれた坂本さんに御礼を言おうと思っていたら、彼は魔球メロンボールに轟沈し、テーブルの下で死体になっていました。んで、あだけんさんと○スしそうになってました(笑)この人を尊敬していいものか、一瞬迷いました(笑)
結局2次会まで参加しました。飲んだ量は1、2次会トータルでも山本が10秒で飲む量にも及びませんでしたけど、やっぱり楽しかったですね。しかも、2次会は坂本さんのおごり!!実は1次会もちょっと多めに出してもらっていたので、実際の出費はほとんどありませんでした。素晴らしい学年会デビューでした。
2.昨日の練習・・・・REST
3.2限民事判例研究(上原)文書提出命令と災害報告書。
5限労働法ゼミ(盛)労働組合と不当労働行為。
4. 第34話
なんでここで首を縦に振ったのかは未だによく分からないんですよね。強いてこの時の自分の立場に立ってみると、坂本さんのあまりの意外なお誘いが面白くて、つい頷いてしまったということなのですかね(笑)そういえば、これまで飲み会に1回も行ってませんでしたけど、誘われたことも1回もなかったように思います。上柚木の帰りに、南大沢から電車に乗って、新宿まで行かずに明大前で降りるときも周りの人は「あっ帰るんだ」とは言ってましたが、そこを一歩踏み込んで「行こうぜ」とは言ってませんでした。ここで「行こうぜ」と言われていたらまたもう少し歴史は変わったのかもしれません。おそらく、周りの人たちも、私のことを「酒が嫌いで、ひたすら練習する奴」としか見ていなかったのでしょう。まさにその通りでした(笑)だから坂本さんに誘われたときに、自分を他の人が見ているのとは違った角度から見てくれるのが新鮮であり、嬉しかったのでしょう。今考えると、当時は何だかんだでまだ19歳だったし、基本的に何事も誘われたら断らない性格だったので、強いてお誘いを断る理由もなかったのでしょう。
やっぱりね、「あいつはこういう奴だ」と一義的に勝手に決め付けられてしまうのは昔から好きじゃなかったし、それは結構損なことなのだと思いますよ。何事もそうですけど「こうだ」と決まって、何の疑念も挟まなくなったら、そこでそれは完結してしまい、新しい可能性の萌芽を摘み取ることになってしまうんですよ。大学1年生なんて無限の可能性があって然るべきなのです。あそこでお誘いを断っていたらもう誰も誘ってくれなくなっていたかもしれません。そういう意味で一つの、重要なターニングポイントでしたし、あの決断は大英断だと思ってます。未成年だったけど(笑)そして、あれが短距離ブロック長への初めの一歩でした。
さて、私は先輩の学年会に参加させていただくことを決めまして、男子更衣室には当時4年の滝脇さんがいたので、坂本さんが私と同じように誘ったんですよ。学年会に来ませんか、と。そしたらタッキーは
「いや、俺は帰って自分と向き合わなきゃならないんだ」
と、のたまうわけですよ。具体的に何をするのか聞いてみたら、
「菓子食って、めちゃイケを見るんだよ」
ですって(笑)これにはもう坂本さんともども爆笑でしたね。まあ、今考えれば、断るのも当然ですよね。4年生の最後になって2個下の幹事学年の学年会には行けないよね。私も卒業間近に前村たちの学年会には行けませんもの(笑)
というわけで、泣く泣くタッキーを諦めて、私は坂本さんと2人で彼らの学年会に向かったのでした。決戦の地は、あの「まんぷく亭」(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.3限法社会学(河合)法科大学院制度の真相!!ダークな話ばかりで面白かった。
5限法曹倫理(村岡)身代わり犯人〜真実義務と守秘義務の相克〜
4. 第33話
いよいよ、たわいもないだらだらぐだぐだ思い出話も2002年になりました。もうこの時点で冗長すぎて食傷ぎみのそこのあなたたち、聞いたこともない人の名前ばかりすいません。もうちょっとで、皆さんご存知の方も出てくるかもしれませんので(笑)
さて、激動の2002年の1月の最初の週か2週目だったと思うのですが、相変わらず織田に練習しに行ったわけですよ。当時は練習といってもメニューは200Mを15本くらい(多いな!!)走って脚が死んだらそこで終わるというほぼ1通りのものでした。そこでその日も精根尽き果てて練習終えて帰ろうとしたときに、たまたまその日織田に来ていた当時の現役幹事長坂本さんに衝撃のお誘いを受けました。
「あのさ、俺たちの学年会に来ない?」
・・・はっ!?最初は本当にこの人が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。だってそうですよね、つっ込みどころ満載ですよね?(笑)何といってもまず、学年が違うじゃん!!自分の学年会にすら行ったことないというのに、何で他学年の学年会に行かなきゃならないんですか、と(笑)それに仮に行ったとしても、申し訳ないですよね。自分たちが幹事学年になって最初の学年会(新年会)で今年も幹事学年一同団結して「頑張っていきまっしょい!!(坂本さんは田中麗奈好き)」って時にいきなり、見知らぬ1年生が闖入していたらそりゃテンション下がりますよね(笑)そして、まあ仮に他学年の人を誘うのがありだとしてもだよ、何で俺を誘うんですか、ということですよ(笑)安倍氏が首相になるくらいの人選ミスですYo!!当時の私は19歳。中川君ほどでもないけど、酒なんか飲んだら記録が落ちるじゃん!!と固く信じていたし、私があらゆるコンパに行かないのも皆さん知っていたはずなのに、何を以ってこの人はこんなサプライズ人事をしたのか、全く意味が分かりませんでした。誘われてから10秒くらいでこんなことを考えて、私は彼にビシッと言ってやりましたよ。
「あっはい。行きます」と!!(笑)
ぶっちゃけ、ここから1年間中川君とキャラ被りまくりです(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.終日勉強。
「勇気・優気・遊気」・・・奥村氏は本当に大学3年なのか!?(笑)んで、活動記録集を読んで毎年思うのですが、特に今年とか、自分の名前を投票していただけるのはある意味光栄の至りなのですが、なんでこんな数多の会員がいる中でわざわざ最長老を選ぶんですかね?特に抱かれたくない人で1票とかめちゃくちゃリアルじゃん!!(笑)その思考の過程1回でいいからを聞いてみたいです。サシ飲みしながらでも。あっ割り勘でね(笑)
4. 第32話
さあ、塩野内閣が発足しても、こっちの世界は坂本内閣が発足したばかりです(笑)この頃は別に誰が幹事長になろうと、私にはほとんど影響がなくて、相変わらずめちゃくちゃ少人数の織田に行って、一人で走って、終わったらさっさと帰る以外に陸同との関わりはありませんでした。陸上はやっていたけど、陸同はやってませんでしたね。
そんな12月にちょっとした大胆プロジェクトが私の中で密かに行われていたのです。それは「HP開設」(笑)この頃、私は別のサークル(法律サークル)の友人のHPの掲示板に日記を書くという、今考えると全く意味の分からないことをやっていたのですよ。んで、そろそろ独り立ちをするべくHP開設に着手したのでした。そして、当時はHP開設ブームだったのです。酒井さん、西山さん、二宮さんなどなど、当時数少ない、自分と親交のあった方々が続々とHPを開設していたので、じゃあ自分も便乗するかなと思ったものでした。そこらへんの心理は今の若年層のブログブーム時代と変わりません(笑)ただ、作ってみると、これがまた難しすぎて全く分からなかったんですよ。先輩にHPビルダーでも借りればよかったのですが、そんなものが存在することすら知らずに全部HTMLタグを打ち込む作業しかしていませんでした。分からないんだったら作るなよって話ですよ(笑)開設準備に着手して数時間、私は一つの大きな決断をしました。「やっぱりやめよう」悲願のHP開設はこの2ヶ月後のことでした。
12月はイベントラッシュ(奥多摩、総会、納会、クラ対駅伝)でしたが、やっぱり全不参加でした(笑)年末は郵便局バイトに勤しんでいました。翌年、同じ職場に当時高校1年生だった現広報がいたのですが、それはまた先の話(笑)というわけで2006年が終わろうとしているのに、やっとこさ2001年終了!!いよいよ
時代は私の運命を変えた激動の2002年へ。
そんな今週のキリヤマダ君情報!!10000Mで31分03秒、5000Mで14分49秒で共にベスト更新!!でも、悲願の同好会新記録はコンマの差でならず!!嗚呼キリヤマダ・・・
2.昨日の練習・・・・REST
3.総会@15号館。
今年も投票からの参加でした。今年は決選投票は短ブロと他大代表のみだったのですが、両方とも自分に密接に(?)関わる人事だったので演説を聴いて、悩ましながらも投票しました。去年までは困ったときは白票を投じたものですが、今年は全部(といっても2回だけですが)選びました。候補者の手腕が非常に拮抗しているときに、最後の最後は自分と仲が良い方に決めることができれば非常に楽なのですが、いかんせん4個も下の代の話ともなれば、そうそう簡単に決することはできず、投票時間ぎりぎりまで悩みました。甲乙つけがたかったですが、敗れ去った方も堂々と、悔いなく敗れて行ったのだと思われるので、ぜひ今後1年間選ばれた方を全力で補佐してあげて欲しいと思います。負けたらそこで終わりというわけではなく、そこからが始まりなわけですし。
さて、無事に投票も終え、旧役員のを労をねぎらい、新役員に期待の言葉をかけ、総会も終わりました。これで、自分が学部生だった頃を知る役員は誰もいなくなってしまったということで、これもまた一つの区切りなのでしょう。自分が役員をやっていた遥か昔を振り返りますと、役員って1年務めてみて、ようやく要領が分かってくるものなのに、そこで終わらなきゃいけないというのは本当に辛かったですね。もっと早くから陸同の素晴らしさに触れ、役員を1年の時からやっていたかったです。でも、多分2年やったらやったで、もっとやっていたくなるのでしょうから、際限ない望みなのかもしれません。というわけで、奥村内閣の皆さんお疲れ様でした。そして、塩野内閣の皆さん頑張ってください。代替わりということでトップページの画像も代替わりします(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.出願。わざわざ開戦記念日&ジョンレノンの命日にしなくても良かったかな。雨降るし、空気入れ壊れるし、不吉だ(笑)
4. 第31話
というわけで、冬季練習を始めてすぐに、年度内最後の一大イベント、陸同総会がやってくるわけです。おっそういえば、奇しくも明日は総会だね。図ったかのようだ(笑)その総会の前日に、今シーズン幻の4継同好会記録を共に打ち立てた某会計からメールが来まして、大隈銅像の前に呼び出されたわけですよ。用件は、「会費払え!!」とのことでした。まだ払ってなかったのかよ、と思われるかもしれませんが、一般には夏合宿で会費は強制徴収されていたのですが、私は全合宿全不参加だったので、徴収される機会がなかったわけです。そういえば、上級生と違って1年生って半年で5000円なんだよな。4年の最後は徴収されないからそこで帳尻合わせるということなのかな。いずれにせよ、冷血会計の敏腕さからは逃れることはできず会費を払いました。銅像前で待っていたら、遠くからロン毛(あまり他人のこと言えませんでしたけど)で黒ずくめで強面の兄ちゃんがこっちにのしのしと歩み寄ってきたんですよ。ちょっと、というか結構怖かったです(笑)
そして、総会なんですが、私は土曜の4限にチャイ語の授業が入っていたので参加できなかったのでした。だから総会って何をやるのかも分かりませんでした。後から、総会では新役員が選出されたということと、横浜市選手権で替え玉で出した4継の同好会記録の扱いをどうするかで激論になったことが風の便りで伝わってきました。誰のせいでこんな紛議を醸しているんだといえば、どう頑張っても私のせいなんですが、当の本人はそんな激論はどこ吹く風で授業に出ていたのでした(笑)まあ、そんなこんなで現実の世界では奥村内閣が任期満了しようとしているというのに、このHPの時代は中西内閣からようやく坂本内閣に移ったのでした(笑)
陸同の卒業文集に書くであろうちょっとした小ネタ(?)を閃いた。久しぶりに「俺天才かも!!」と思い、すぐに、「くだらねえ・・・」と思いました(笑)
「大人の方が恋は切ない 始めから叶わないことの方が多い」(Byドリカム)
・・・っておい、夢も希望もねえよ!!バンド名変えろYo!!(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.1、2限問題解決実践(山田)差止訴訟と義務付け訴訟と国家賠償。
3限租税法(水野)所得の実現と帰属。
4. 第30話
クラ対が終わってからしばらく休みまして、冬季練習を始めました。この頃になると普通に水曜以外にも織田に行って練習していたのですが、クラ対の前後では驚くほど人の数が違うんですよ。私一人だけということもざらでした。最近は滅多なことでは織田に陸同会員が誰もいないという事態にはならないようですから、いやはや会員数が増えたのか、練習熱心な人が増えたのかは分かりませんが、時代は変わったものです。あっ去年もクリスマスイブには織田には私一人だけでした(笑)帰り際にCOGが来てちょっと安心したのを覚えています。
さて、そんな冬季練をやっていたある日、ある大先輩(男性)と練習後に一緒にダウンしまして、陸同会員になったらというか組織に所属したのなら決して避けて通ることのできない道についてのレクチャーを受けました。それは、その、何と言いますか、誰もが興味ないとは言わせない、いわゆる「陸同の男女事情について」ってやつです(笑)誰と誰がどうだとか、最近どうなっただとか、気がついたらジョグ何周してるんだよ!!ってくらいの長時間にわたって先輩からの大人の講義を受け、私を真の大人に・・・もとい、真の会員にしてくれました(笑)この手の話は古今東西永久不変の関心事ですから、まあびっくりしましたよ。今ほどではないのかもしれませんが、内部ってのは相当多かったですね。いくつもの地雷を今までに踏みそうになってきたこともその時知ったものでした。とまあ、そんな話をもともといかつい顔しているのに、さらに結構真面目な顔して、話してくれたものでした。当時4年生だったタッキーが(笑)滝脇さんは、4月の最初の練習会にもちょっとだけ顔を出していて、初対面のときは真面目に怖かったものでした(笑)この人が鬼短距離ブロック長なんじゃないのかなんて密かな危惧を抱いていたものでした。まあ、普通入学したての1年生から見た4年生なんてどう頑張っても怖いですよね。それをほぼ初対面の大学院生に向かって「失望しましたよ!!」と絶叫できる羽鳥は凄いですね(笑)そして、中学に入った頃に高校の女性を見たときは「おばさんだな!!」と思い、高校に入った頃に女子大生を見たときも「おばさんだな!!」と思ったものですが、大学入っていわゆる女子大生って人種に接したときは純粋に「綺麗だ(Byウインズ風)」と感じたものでした(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.1限民事裁判基礎(高橋)詐害行為取消の法的性質と代物弁済の法的性質。
4. 第29話
クラブ対抗と前後して、毎年恒例で開催されるのが、そう、体育祭。私もウエイトトレーニングの授業を履修していて、これがまた体育祭の種目としてあるんですよ。内容は仁義なきガチンコベンチプレス選手権!!授業履修者は参加必修なのに、実際ベンプレをやるのはクラス代表者だけで、あとのその他大勢はただ、汗臭い男どもがベンプレしている様子を見ているだけという異様なイベントでした。さすがに体重の差がありすぎると不公平だろうということで、65キロ以下級とそれ以上に分かれて行われました。クラス代表は階級ごとに2人で、ミスターベンチプレスの名を(自分のグループでは)ほしいままにしていた自分はもちろん代表に選ばれまして、もう一人の代表者は本来あだけんさんだったはずなんですが、彼はなんと出場辞退(笑)
ちなみに、この代表選手になると、当たり前のことかもしれないですが単位は絶対に「優」を保証していただけて、それ以降の授業は出なくてもいいし、試験すら受けなくても大丈夫だったのですが、この授業がはんぱなく楽しくて、そんな恩典なんかどうでもいいから授業に出続けていました。授業以外も、結構足繁く通ってましたね。順番待ちなんてありえなかったし、本当に穴場でしたよ(笑)
さらに、余談ですが、ウエイトの授業の一緒のグループに、水泳同好会の人がいました。あの日あの時あの場所で(By小田和正)陸同に(というかはっせさん)に出会っていなければ水泳同好会に入っていた予定でした。因果なものですな(笑)
んで、本題(?)に戻って、ウエイト選手権ですが、私は60キロからずっとパスし続けて85キロから始めました。もう一人パスしている人がいて、他の人は既に80キロまででリタイアしていました。結局私が85キロを挙げたときには私は早くも2位以上が確定(笑)90キロ、95キロも挙げて、100キロでダウン。それを見届けた後、もう一人の彼が悠然と立ち上がり、100キロを難なく成功。はい、2位確定(笑)彼はその後120キロを挙げてました。体重の倍挙げてるじゃん!!まあ、全力出し尽くしたので悔いはなかったですが、体重65キロ以上の部の優勝記録は85キロ!!無理して減量しなきゃ良かった!!そんな若きグリーンデイ。
hare-brained unity新曲「ORION」発売!!売れろ!!
イエスタデイをうたって第5巻、2007年4月発売決定!!って随分先だな!!
2.昨日の練習・・・・REST
3.2限民事判例研究(高橋)医療過誤と国家賠償。
4. 第28話
さて、クラ対も無事優勝しまして(このときには総合優勝なる制度はなかったので普通に男子優勝でした)、幹事長が胴上げで天空を舞い、私もとりあえず優勝に貢献できたことに安心しました。早大同って強いんだな、ということを改めて実感しました。2位以下に何点差をつけたかは分かりませんでしたが、来年以降もそう簡単には負けないだろうと漠然と思っていたものですが、結局6年間負けなかったですね(笑)ただ、あのときの戦力で今年のクラ対を戦っていたら負けていたでしょう。1位になった選手は何人いたでしょう?たしか、1人だけです。去年のクラ対では男女短距離種目全制覇なんてことを成し遂げましたけど、5年前は短距離種目はおろかトラック種目は全敗でした。といっても2位の選手はたくさんいましたけど。今やすっかり得点源種目になった400Hもあの時はその存在すらありませんでした。この翌年に二宮さんのために創設されたといっても過言ではないでしょう(笑)早大同もだいぶ強くなりましたが、日大文理も確実に強くなったなと今振り返ってみてそう思います。早大同が頂点に君臨することで他団体が腐ることなく、絶えず全力で挑んでくるからこそ、互いの精強ぶりに磨きがかかってきたのだとしたら、早大同のクラブ連盟における貢献は思った以上のものがあると思います。いや、改めて最近の強さを目の当たりにしているからなおさら思うけど、よく1年生のとき優勝できたな(笑)
というわけで、5連戦無事終了ということでシーズンも終了!!競技の話だけで約1ヶ月かかっちゃったYo!!明日からはしばらく競技以外のことも書いていこうかなと思ったり思わなかったりしますが、今一番悩ましいのが、この企画をいつまで続けるか、なんですよ。2年生以降になると、どうしてもイメージダウンなことも書かなきゃいけないわけで(笑)このまま終わらせれば、1年生時代の中川キャラで爽やかに終われるんですが、1年生編だけで終わっちゃうと現役会員が知っている名前が1人も出てこないことになっちゃうしな(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.3限法社会学(河合)最高裁事務総局と人事と司法消極主義。
5限法曹倫理(村岡)守秘義務。迷ったときは「何もしない」だね。
4. 第27話
100Mで無事に決勝進出を決め、次は4継。横浜市選手権では違反行為のため、公認記録にはならなかったけど、今度は正式に自分の名前でエントリーされていたので、今度こそ正式な新記録を、との期待を胸にいざ決戦。メンバーは横浜のときのメンバーから3走が西山さんから亀井さんに交代。4人の持ちタイム的には当時の陸同最速の4人が集まったわけですが、如何せん11月の寒さ(この年のクラ対の寒さは6年間随一でした)はどうにもできず、全員(特に自分が)動きが硬く、タイムは42秒58で、同好会記録には惜しくも100分の7秒届きませんでした。やっぱりそうそううまくいくものではありませんね。順位も東洋大同好会が圧倒的に速くて2位でした。
そして、100Mの決勝。自分が2レーンで酒井さんが隣りの3レーン。挑戦会のときも隣りのレーンで走らせていただいて、その時は中盤まではいい勝負ができたので、今回も中盤までしのぎを削る走りができれば・・・と思ってスタートして顔を上げてみたら遥か彼方を彼は走っていました。1ヶ月前のあのいい勝負はなんだったんだ!?銭形のとっつあんがルパンを追いかけるくらいの気合で一生懸命走ったのですが、全然勝負になりませんでした。結果は酒井さんが2位で、自分が5位。あの偉大すぎるほどの背中を私は11秒間も一番近いところで見ることができたことが当時の自分には負けたことの悔しさよりもずっと大きいものでした。この人の背中を追いかけて、自分は9月末から来る日も来る日も練習を重ねたのでした。当時の自分は酒井さんあっての自分でした。そういう人との出会いがあったということは陸同に入って最初で最大の幸せだったのかもしれません。
さて、この100M決勝を以って、わずか1ヶ月という超短期の自分のシーズンは終わりました。クラ対は自分のレース以外にも得るものはたくさんありました。他のブロックの人のことをほとんど知らない自分にとっては、短距離種目以外の競技を見ることは非常に新鮮なものでした。「あれはどなたですか」といちいち先輩たちに聞きながら、見ているとやっぱり対抗選手のレベルは高く、見ていて楽しかったですね。応援している人もいつになく真剣で、サークルとしての一体感を感じました。特に5000Mに激しく感動したのですが、それはまた書くと長くなるので裏日記497話を参照してください(笑)あと、今思い返してみると、マイルは明大同と中大同に負けて、3着だったんですよね。マイルの連戦連勝記録は翌年30年に1人の超新星の登場と共に始まるのですが、それはまだもうちょっと先の話です。
2.昨日の練習・・・・REST
3.勉強してからブロック納会@まんぷく亭。
ブロック長の皆さん1年間お疲れ様でした。もちろん他の役員の皆さんもですが。特になぜかと聞かれたらうまく答えられないのですが、長い陸同人生歩んできていますが、その歴史の中でも、今回の飲み会は非常にいい飲み会だった気がします。そして、気がつくと自分の周囲には5個下の1年生しかいなかったりで新鮮でした。あっキザワさんは例外ね(笑)ってか中嶋とジョイトイ以外にも1年生も意外にこんな老人のHP見ているんですね。面白いのかな(笑)
4. 第26話
というわけで5連戦の最終戦、関東クラブ対抗@町田。この時はクラ対は11月3日にやっていたので浜松には行くことすらできなかったのでした。
さすがにこの頃にもなれば、陸同におけるクラブ対抗の重要性はそれなりに分かっていました。幸い、私の(数少ない)話すことができる人(先輩)が昔話が好きな人ばかりだったので、「クラブ対抗ってのはね、」という基礎の基礎から教えてくれたのでした。新人教育ばっちりでしたよ。話を聞く限りでとりあえず分かったのが、早大同は2年前には負けて、去年3年ぶりくらいにようやく王座を奪還したので、今年も頑張ってそれを死守しましょうということと、負けたら幹事長が坊主になるということでした(笑)そして百聞は一見に如かずということで競技場に着くと聞いていたとおり、他のどのサークルレベルの大会よりも緊張感のある大会だということは、すぐに分かりました。普段は明るく軽口も叩くような人が物凄い真剣な眼差しをしていたりもしましたからね。「あーこの試合は他の試合とは違うんだな」とすぐに悟りました。
さて、100M予選。1着+3人が決勝進出。予選くらい普通に勝てるだろうと思っていたら、何と、隣の人が速くて速くて、スタートから全く勝負にならず、2着。プラスで拾われて決勝進出を決めました。個人戦はクラ対までに2回しか出たことなくて、早大同以外の人に負けたことなかったから、軽くショックでした。世界は広い。もう一人の対抗選手酒井さんも無事予選通過で揃って決勝へ。余談ですが、後から聞いた話ですが、知名度が全然なかった私が走っているときに、スタンドでは「あれ誰?」という声がちらほら聞こえたとか(笑)
2.昨日の練習・・・・REST
3.1限大原(タケミツ)実践学園@渋谷。今日はいつもどおりの大原。ルーギャーがイパーイ(笑)
4. 第25話
とはいえ、42秒44は幻の記録となって公認になることはありませんでした。なぜなら違反行為だから(笑)私の名前はエントリーメンバーには含まれていなくて、他人の名義で出場したのでした。横浜市選手権の申し込みってだいたい9月の上旬なのですが、私はその頃まだまだ雲隠れ期間だったので、メンバーになりようがなかったのでした。ということを、後々総会でこの記録を巡る問題が一大論争を巻き起こしたということを知ったときにはさすがに申し訳なく思ったものですが、それはまた後の話。
この日、4継以外にも陸同会員が何人か出場して、どの人も結構な好成績を収めていて驚きましたね。中長の人たちが強いのなんのって。はっせさんも(地味に)自己ベスト出してまして、あ〜この人意外に速いんだな〜と思ったものでした(笑)そして、同じ5000Mで2位か3位だったのが、当時4年生のジュンシ先輩という14分台の記録を持つ方で、この人のレースがはんぱなくかっこいいんですよ。やっぱり14分台のレースにもなれば、さすがに間延びすることないから飽きませんね。先輩は絶対に覚えてないでしょうけれど、この時少しだけお声をかけていただいて激しく緊張して、感動したものでした。ってか1年生から見た4年生なんて普通誰でも緊張しますよね?「死んだほうがいいですよ」なんて普通言えないだろうし、言われることはないですよね(笑)そう考えると自分が4年のときの威厳なんて屁のようなものでしたね(笑)先輩のHPも毎日見てました。このHPのモデルとなったHPの1つです。点取り虫(日記のタイトルの後の点数のことね)はジュンシ先輩のパクリです(笑)それだけ勝手に尊敬させていただいていたということなのです。
話は変わるけど、亜細亜大学の箱根2連覇がめちゃくちゃ濃厚だと思っているのはきっと私だけじゃないですよね。
2.昨日の練習・・・・REST
3.1、2、3限大原(タケミツ)小石川@小石川with依田。タケミツマジックで史上最悪(笑)
4. 第24話
2001年10月21日、横浜市選手権4×100Mリレー決勝の1レーン。メンバーは酒井さん、N口、西山さん、内田君という平均年齢19,25歳の若人たち。練習の成果が出たのか、流れるように通るバトンパス。内田君に渡ったときには、優勝候補筆頭の新栄高校とほぼ同時で、勝敗の帰趨はアンカーに委ねられました。10秒台の内田君なら大丈夫だろうと思ったら、敵もさるもの、さすがに(当時は)天下の新栄高校。アンカーは化け物でした(笑)新栄高校の優勝タイムは42秒33。わずかの差で内田君がゴールへ。44秒台しか体験したことのない自分にとっては明らかに速かったです。ただ、42秒51を破ったかは非常に微妙なところでした。
ここから結果発表までは非常に長かったですね。それでも、メンバー全員の顔を見る限り、全員が最高の走りをしたということは容易に看取できました。そして、十数分後、いよいよ競技結果発表。
「男子400Mリレー決勝結果・・・2着早大同、記録42秒44」
7年越しの大願成就の時は意外にあっさりと訪れました。歓喜の輪。酒井さんはやっぱり泣いてました。私には、42秒台という記録も初めてだったから、その記録の価値もいまいち分からなかったし、酒井さんがどれだけこの瞬間を待ちわびたかも、1年生の身には忖度できませんでしたけど、とりあえず、この人の悲願達成の微力ながら力添えできたということくらいは分かりました。それだけのことでしたけど、それで十分でした。己を必要としてくれる人のために、己の力の全てを捧げ、それで結果が出たのですから、これに勝る喜びはありませんでした。この考え方は結局6年間変わりませんでしたね。1年生は誰でも多かれ少なかれ、自分とサークルとの関係に不安を感じるものだと思います。先輩から見たら1年生なんて数え切れないくらいいるわけだし、大勢の中にいる一人にすぎない自分をどれだけ認識してくれているのかというのは結構死活問題なんですよ。やっぱり自分はここに必要ないな、と思ったら去っていってしまいます。私もなんだかんだでそんな不安を感じていたのだと思います。だからこそ、いるんだかいないんだか分からなかったような自分を見出してくれて、必要としてくれたことにこの上ない喜びを感じたものでした。先輩にとっては何気ない一言であっても、意外に後輩は一生覚えていたりもするんですよね。